書きたいこと、残しておきたいことはあるけど ずっと動作として起こす気力が無かった。
今もそうだけど一人の人間としての間口を 最小限にしてかろうじて息をしている感じ。
数少ないがかけがえのない友人達との交流も疎遠になり不義理をしている。 子供たちの学校関係も同じ。 どうしても・・の時は気力を振り絞って出掛けるし その時それなりに対応はできるがそれも次の丸一日は 起き上がれなくなり寝込んでしまう有様。 自分の両親とさえ、電話で一言話すのも苦痛な時がある。
ニンゲンに対する条件反射にも近い恐怖感と疲労感。
原因となった人たちはいたにせよ、それ以上に 支え助けてくれた人たちの存在も確かなのに 本当に申し訳ないことだと自分の不甲斐なさが情けなくなる。
それでもどうしても心も身体も思うように動いてくれない。
なんとか・・なんとか・・と自分なりに踏ん張ってきていたのが どこかで何かが切れてしまったように 力がどうにも入らない。 叱咤激励する自分の声に もう嫌だ と座り込む自分を 引っ張りあげれない。
耳鳴りが する。
本当に申し訳ないことだと思うが 今はそれでも このわたし を受け入れてやり過ごすしかない。
こんなわたしに愛想を尽かす人がいても それはそれで 受け入れるしかないのだと思っている。 ごめんなさい とただ詫びるしかできない。
それでもいつになるかわからなくても待っていると いってくれる人がいるなら それで充分有難いことで。
とても失礼な言い方になるし、誤解されそうで怖いし でも それを恐れずに言えば 今のわたしがかろうじて大丈夫なのは 恋人 と 息子達(というか長男) だけといってもいい。
この辺もうまく言葉にできないのがもどかしいのだけど 怖くない 大丈夫だよ という感情。 この状態の自分でも受け入れてもらえるという安心感か。
これはわたしの側の感情で勝手に間口を狭めているだけで だから 矛盾しているようだけれども その他に大切だと思う人たちがいないというのではないのだ。
どうして自分がこんなに疲労して怯えているのかわからない。 ただただ きつくて 息が苦しくて。
どんどん削ぎ落とされていっているような気がする。 かろうじて残っている執着のようなものが恋人と息子達なのかもしれない。
だから怖いのだ。残されたものに 残されたものをこれ以上 こぼしてしまわないようにと 我が手が握り締めるのが。
依存というのがどこからどこまでをいうのかわからないけれど この依存度が高くなって、最後の最後に残ったものすら この手で壊してしまうのではないかと それが。
ささやかなる内職はリピーターさんによって支えられ いつ途絶えるかはわからないが かろうじて それでも わたしにできる最後のお金を稼ぐ手段。 人様からみれば仕事ともいえない たったそのくらいのこと かもしれないが それでもこれがあって良かったと思う。
子供たちは成長していく。 反対に両親も自分も確実に老いてゆく。
色々なことを考えれば考えるほどに まるで目に見えぬ錘で地面に囚われたように 動けなくなってしまうから
今は ただ ひたすらに 生き延びる為だけに
息を、吸って、吐いて、 酸素 を。
いろいろなものを指の隙間からこぼしながらでも どんな未来(あした)でも
明日を見る為に
呼吸 を。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
|