++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年11月10日(木) 声に代えて(何処かの誰かへ 連なる空の下のキミへあなたへ)

言葉を綴るという行為は
わたしにとって息をすることに近いのかもしれない。

詩モドキであったり日記であったり自己流の短歌であったり
それはいつもまとまりの無い とても不器用なもので

それでも何かがあった時に
頭の中で無意識に文章を作っている自分というのに気づいた時
これはもう業(ごう)みたいなモノだな と思った。

例えば詩人だとか作家だとかエッセイストだとか
言葉を綴ることを仕事として日々の糧を得ることができるなら
それは苦しくとも幸せだろうと思うけれど
その力が無いことを自覚しながら いや それでも 多分
最期の瞬間まで 少なくともわたしは”書きつづけるニンゲン”で
あるのだろうな・・と。それが自分の心の中でだけでも。


わたしの全部をそのままに書くことはきっとできないと思う。
わたしには守るべきものもあるし 全てを書くことでそれを危険に
晒す覚悟はない。
いや それ以前に ヘタレなわたしにはわたしの全てを晒す覚悟が無い。

何処かで繕っている。不器用で繕えば繕うほどボロはでるのに。
でも 綺麗ごとだけを書くことだけはしたくないと これも
意固地なほどに思っている。
矛盾 なのだろうけれど。

こうできたらいいだろうなと思うことは確かにある。
何度も書いているけれど それを実践してそれを目指すことに
迷いの無いヒト達はそれでいいんだと思う。

ただ わたしが真っ直ぐにそれを見れないというだけ。
わたしには 宗教や精神的な先生と呼ばれるヒトの言葉で
感銘や影響を受けることはまず無い。
立派な言葉ほど わたしの気持ちを萎えさせる。
醒めた目でしか見れない。

良いこと正しいこと美しい行い。
それを目指して世の中は回っていくべきだろうし 
それが基準であることは必要なことだって思うんだ。

だけど その無邪気ともいえる迷うことなき正しさに
まるで駄目ニンゲンの烙印を押されたような気がして
傷つく人間もいるということ。
わかっていてもできないこと、努力とかそういう次元では
どうにもならないことっていうのが
生きていく中にはあるってこと。

わたしはいつも自分に違和感を感じて生きてきた。
取り繕いきれない 当たり前のことから体半分はみだしてしまうような
ただ 臆病者で小心者で それを知られない為に必死だったから
むしろ わたしはずっとイイコだった。はみ出さないように
目立たないように身体を竦めるようにして。
それで何とか多分まだ それなりに生きてこれたんじゃないかな って。

けど 何だかずっと納得いかなかった。
感動する話も 頑張っているヒトの話も もっともな励ましも
なんかキレイすぎて 真っ直ぐすぎて 迷いが無さ過ぎて。
まるで何処か遠くの話みたいだった。


わたしは だから

迷いを 書きたいって思った。
苛立ちや不器用さやみっともなさや足掻く様を
だって それが わたしの真実と現実だったから。
それが人生の実感だったから。


真っ直ぐに迷い無く生きることはイイコトなんだろう。
きっとそれができれば一番いいんだろうと思うし
それができるヒトは幸せだと思う。

でも それは わたしの生き方じゃない。

失望されるのは辛い。
だから ”・・・じゃなきゃならない”ってずっと自分を
縛り付けて それから はみ出ることに怯えてた。
嫌われたくなかったんだ。あのガッカリしたような呆れたような目で
見られたくなかった。

けど 色んなことが本当に色んなことがあってそれから
もう・・いいじゃないか って。
仕方ないじゃないかって・・・それで去っていかれるのなら・・
この わたし というものに失望されるのなら。

苦笑いみたいに思った。
これ以上 何を怖れることがあるんだ?って。
傷ついて傷ついてズタズタになった。
その分 同じだけ傷つけてもきただろうけれど。

何度もトドメを刺されても死に切れなかっただけ
それは根性とか頑張りとかじゃなくて怖かったから それだけ。



それでもいいと言ってくれてありがとう。
きっと その言葉を待っていたの。
甘えて・・甘えたくて。甘えてみたくて。
甘えを承知で。



綴っていくと思います。
これがわたしの生存証明だから。

声に代えて。
想いに代えて。


伝えられることの限りを。





また 手紙 書かせてください。


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                               ゆうなぎ
 


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