コミュニケーション。
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よく、夜のうちに朝食の準備をしたり(に限らず面倒なことを)しておくと、 「夕べの自分ありがとう」とか「自分偉い」と思えるよ、 みたいな話を聞くが、 たとえやったにしても思ったことはなかった。 別に卑下する意味ではなく、 朝起きてテーブルに配膳されているわけでもないのだから、 ただ、自分がやったことの結果が在るだけとしか思えずにいた。
そう、この夏はお弁当を作り置きしていたが、 1度もそんなことは思ったことがない。 夏休みが終わったときには多少の達成感はあったが、 それは話がちょっと違うんだろうと思う。
しかし、私が心底そう思える瞬間は、やってきた。 先日のウィルス性胃腸炎(おそらく)のとき、 自分が手を触れたもの、袖を通したものは全て汚染されていると考えていた。
洗濯物を増やしたくもないが、ずっと汚いパジャマを着ているのもだめだろうと思い、 探そうと思ったが洗った記憶もなく、 ダメで元々、 「あぁ、やっぱりないな、何を着よう」と呟く自分を想像しながらたたんでいない洗濯物を漁ってみたら、 (入念な手洗い後) その中にパジャマがあったときは、洗濯をこなしていた自分に感謝した。
普段私が洗濯を溜めがちというのもあるだろう。 自分にはまったく期待していなかった。 病気で頭がいっぱいで、今朝だの昨日だのの記憶はふっとんでいた。 そして自分は汚染されている価値の低い(と思っている)とき。 いろんな条件があってのそれだったのだろう。
そういう瞬間を経ての日々の洗濯物が、少し楽しくなった気がする。 いつだって、清潔な衣服は調子の元で、安心の元だ。 毎日毎日繰り返される洗濯ということに疲れていたのが、ご褒美に気づけた気分だ。
今日は36w健診だった。何事もなかった。 次回からは毎週になり、いよいよだなぁと感じる。 というか、来週からもう正産期じゃないか……早めに産めるように頑張ろう… (新学期開始より早く自宅にいれたらいいなと思うので・母も来るし)
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