コミュニケーション。
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思うに、最初の子どもの息子のときは、 「母親は自分の子どもを愛するべき」 「子どもの世話を献身的にするべき」 「夫も協力的であるべき」 などなどの世間の常識(幻)に縛られて、 私も息子も疲れてしまっていた。
その疲れを回復しないままに、娘がやってきて、 このとき私は余裕があったので(疲れには無自覚で)、娘はのびのびと暮らしているのだと思う。
息子の反抗期のようなものはきっとそれの反動なんだろうな、と思い、 もう繰り返すまいと、私の思うようにやることにした。
昨日も息子の感情が爆発してしまって、 息子の悲しみを否定した夫の発言を受けて、夫の運転するシートを蹴ったりしたので、 夫と姑の怒りを買った。
私は原因はゲームだとわかっていたので、まずそのゲームでの悔しさにひたすら寄り添い、 彼の涙に付き合い、それから、それでもシートを蹴ったことは悪いことだと言い、 謝りましょうと促した。
息子はなんとか食事の場には出てきたが、私たちが焼肉をしていた2時間、 謝らずに粘り続け、結局食べず、 店を出て、夫の実家に着いてから夫と姑に謝った。 謝らずに意地を通したことも悪いことだと思っていたようで、まず先にそれを私に謝ってくれた。 彼らが快く許してくれたことは本当にありがたかったが、 多分姑からは私の甘やかしと思われたと思う。
しかし、姑からそう思われたくないばかりに息子の感情を無視することだけは、 避けたかった。 まずは感情に共感し、認め、慰めたかった。 娘には、それを息子にしたよりも、やってきた自覚があった。 娘本来の個性が、それが容易だったから、というのは、 私への慰めにはなるけれど、 だからといって今の息子には意味がないということにはならないし、 やらなくていい、むしろやってはいけないということにはならない。
幸い、息子に善悪やTPOの区別はついているようなのはわかっている。 謝らなかったことを私に謝ってきたのがその証拠だと思っている。 何度も書くが、あくまで家庭の範囲内でしか、爆発させないのだ。 だから反抗期というほどでもないのかもしれず、 「甘え」の範囲であると思っている。
姑もそう思うからこそ、甘えは放置するべき、という主義で接し、 私への評価も下しているのだろうと思うが、 そうやって放置された結果の夫が、 「家庭」での居心地の悪さを感じ、子ども好きでありながら、結果的に独身を長く続け、 いまだに兄妹へのコンプレックスの抜けないのが、私はひどく可哀想だと思う。
もちろん姑はよかれと思ってやってきたのだし、今もそうだし、 夫と姑の信頼関係は健全な部類だと思うので、 姑の育児を否定したいわけではないが、忘れたくないのは、 息子は私の息子であり、姑の息子ではない、ということである。
かまわれたいとき、すぐふぇーんと泣き出す息子を、 夫は私の弟似だと言って嫌がるけれど、しかし、 弟は、2時間他の家族が焼肉を食べ続けるのを黙って見ているような意地はなかったと思う(母にも確認した)。 私にもない。 あの意地は絶対に、姑の料理をいくら怒られても食べなかった、夫の意地が遺伝したのだと思う。 姑はそういうとき、よかれと思って放置してきたわけだ。 生きる時代が違うのだし、それはもう仕方ないし、 育児方針の違う嫁をいじめる姑ではないのだから、私も気にしすぎないことにした。 大事なのは、息子。
あとはできれば、夫に、 息子がゲームで悲しんでいるときは、理解しなくていいから共感して欲しい、と思っているのだが、 私の伝え方だと話が長くなるし、今は忙しいので、 まぁ長い目で…。 むしろ息子が夫にわかってほしい、共感して欲しいと思っていることは、いいことだと思うのだけど…。
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