綿霧岩
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すごく久しぶりにこの日記を書きます。 もう誰も見ていないかもしれないけれど、それもまた良しとして。
ホ・オポノポノというものについて。 私はこれをたった2冊の本と、インターネットで検索していくらか記事を読んだだけで、やってみよう!と思ってやっているだけなので、「ホ・オポノポノ」を知っていると言えるのかどうかわからないんですが、でも、ものすごい自分の内側の変化を感じているので、それを書きます。
「ホ・オポノポノ」とは、ハワイで昔から伝わる問題解決法。 現実で起こる全てのことは、今まで経験してきた記憶が再生されたもの。 その記憶は今回の人生の記憶だけではなく、何度も生まれ変わった過去生、さらには人間の時の記憶だけではなく、鉱物、動植物、地球外生物等だった、宇宙誕生からのありとあらゆる記憶のことを指す。 何か物事が起こり、それに感情が湧き起こる時、その感情をクリーニングすることで、記憶が消去される。 記憶が消去されてはじめて、そこに空洞ができてインスピレーションが入ってくる。 その状態こそ、記憶の繰り返しではなく、自分の本質を生きることになる、ということです。
具体的に、クリーニングするとは、4つの言葉「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」を自分に向かって何度も言う。 声に出しても、心の中で言っても良い。 順番は好きなように、なんでも良い。 それ自体が記憶を消去するツール。(クリーニング方法は他にもいろいろある) いつの何の記憶を消去しているのか、自分にはわからないし、わからなくていい。 「ウニヒピリ」と言われる潜在意識がわかっているから大丈夫だそうです。
もう一つ、私にとってすごいポイントだったのは、全て自分が体験することは、自分の記憶が引き起こしている、という視点。 つまり、起こってくる現実の全ての原因は自分にある、ということ。
自分の外側には何もない。 全て外側で起きていることは、自分の内側で起こっていること。 本来、物理的にある外側の人や物や事は完璧な存在。 でもそう感じられないのは、自分の内側にある記憶が自分にそう感じさせているから。
本で読んだ、現在のホ・オポノポノの創始者モーナさんによる、私にとっての大事な言葉。 「相手を完璧な存在と見られないことは、たましいを不自由にします」
このことと、例えば子宮委員長はるちゃんが言っている、「私は絶対悪くない」という在り方は、一見相反するように見える。 だけど、矛盾しないのだ。
「私は絶対悪くない」 けど 「全ての原因は私にある」 のだ。
誰も悪くない。 しいて言えば、悪いのは記憶だ。 例えば、「〜を見て気分が悪くなる」という潜在意識の中にある記憶が、「〜を見て気分が悪くなる」現実を引き起こしている。 そして、記憶とは、あなた自身の本質ではないのだ。
罪悪感でも何でも、感情は記憶の再生、だからそれをクリーニングする。 喜びや楽しさや、ポジティブだと思う感情もクリーニングする。 そうすることで、もっとその先がある。 もっと自由で、もっと開けた関係や人生を創造できる。
うーん、この文章で伝わるのだろうか・・・ まあでもいいです。 興味がなければ、全スルーしてくださいませね。 もっとちゃんと知りたい方は、本などを読んでみることをお勧めします。
とにかく、私は、これをやりだしたわけです。 で、日に日にどんどん自分の心がすっきりと、静かに力が抜けてニュートラルな状態というか、もちろん日によって心の浮き沈みはあるのだけど、よりそれを繊細に、かつ柔らかく受け止められるようになっている、と感じるのです。 と同時に、自分の体の状態にも、以前より気づきやすく、そして穏やかに対処できている自分を発見しているのです。
そしてそのことは丸ごと、外側の世界に反映されていくのだと、なんだか確かにそう思えるのです。
お金は全くかからない。 今ある場所で、誰に働きかけることもなく、ただ自分の内側を見つめることを始めていけばいい。 そうして一日一日、日々を生きながら、人や物事と関わりながら、いろんな思いを感じながら、クリーニングを繰り返しながら、自分の本質を生きるようになっていくのだと、思えるのです。
子宮委員長はるちゃんを見つけたとき、ああ、私の知りたかったことの扉がここにある、という気がした。 本当にそうだった。 そして今、ホ・オポノポノを知り、新たな扉を開き、あのときと同じことを感じている。 私の知りたかったことが、この先にある。 ホ・オポノポノをやり始めて、はるちゃんや他の沢山の人の生き方や考え方に対する自分の捉え方が、より深まったと思う。 それは同時に、クリーニングを通して、知らなかった自分のことを加速度的に気付き出したからに他ならない。 知らなかった自分を知ることは、そのプロセスは楽でないことも多い。 それでもやっぱり私は、それをやらずにはいられないのだ。 それはたとえ苦しい時間があったとしても、すごく面白くて、楽しくて、すごくやりたいことなのだ。
知らなかった自分については、もう少しまとまったら、そして書いておこうと自分で思ったら、また書きます。
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