綿霧岩
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何かを経験して強く印象が残ったときに、すごく言葉にしたいと思うと同時になんだかものすごく言葉にしたくないと思うのはずっと昔からだった。 そしてその言葉にしたくないという自分の思いはある意味私の怠惰な部分なのだと誰に言われたわけでもないのにそう思っていた。 言葉にすることの方が正義なのだろうと勝手に思い込んでいてなかなかそうしない自分にわざわざ罪悪感のかけらまで持っていた。
言葉にすることは省くこと、言葉にしたとたん言葉が示すこと以外の事象は見えなくなる、たった一つの出来事をたった一つの出来事足らしめているのは「たった一つの出来事」という言葉であり、複雑極まりない事象を人の脳は言葉で理解しているからこそ認識できるのだ、というような文章を読んだ。
言葉にせずにいると整理整頓ができない。 誰かにわかるように伝えられない。 それでも私が言葉にしたくないと思うのは、ただそのままとっておきたいんだ。 もう二度と思い出さなくても誰の記憶にも残らなくても。 そのままにしておくことに私は価値を感じているのだ。 いや、言葉にすることで自分の印象が改竄されることが怖いのだ。 それに気付いて少し気が楽になった。
何故だか逆に言葉にすることがこれからもっとできるような気もしてきた。
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