舌癌とともに生きて...サクラ メイ

 

 

リニアック - 1987年03月19日(木)

そうして診察の翌日からリニアックが始まった。

リニアックとはコバルト60を患部に約1分間ほど照射することである。



毎日、頭頚科診察室隣でネブライザーを行ってから、リニアック室へ向かった。

暗いリニアック室の、機械の上に寝て1分間ほどの照射を受ける。

なぜか、照射中はメロディがどこからともなく流れてくる。

そのメロディは18年経っても忘れない。「アマリリス」だった。



ネブライザーもリニアックも待ち時間はそんなに長くはない。

両方合わせても、病院滞在時間は1時間ほどで済む。

その1時間のために、バス、電車、徒歩、合わせて2時間以上の道のりを、一日おきに通った。



だいぶ健康になった今でさえ、相当に体力のいることを、病気の身体で、たとえ2週間だけだったとしても、よく通ったなあと思う。

人間の「生きたい」と思う力は、すごいものがあるのだ。



リニアックは計7回行った。

たったそれだけで、私の舌からは、徐々に味覚が失われていった。


...




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