手術 兼 細胞検査 - 1987年03月02日(月) 良性とも悪性ともわからぬまま、手術は3月のはじめに行われた。 執刀医はH先生、助手の先生がひとり(お名前はわからなかった。) 「できものと、そのまわりを広めに切り取ります。」 手術は部分麻酔で行われたので、先生ふたりのやりとりは全部聞こえた。 「どうします?このあたりまで切ります。」 「うん、そうだな、切るか。」 「あれ、ちょっと切り過ぎちゃったかな?」 ぉぃぉぃ、と突っ込みたくなるような気楽な雰囲気の仲で手術は進められた。 「縫合は二重に。」 どう、二重なんだ? 気が付くと手術は終わっていた。 「できる限り広い範囲で切り取りましたので、仮に良性でないということがあっても大丈夫かと思います。」 「お帰りになる途中で麻酔がきれるかもしれませんが、その時は痛み止めを飲んでください。」 TD病院からタクシーに乗り、OC駅から電車に乗り途中乗り換えるあたりまでは、手術の麻酔が効いていたせいか、私にもまだ気力が残っていた。 夫はその先を見越したように「今日はグリーン車で帰ろう。」と言った。 グリーン車なんて、もったいない。なんて大げさな!と思ったが、夫の言うとおとりにしてよかったと、今でも夫に感謝している。 乗り換えてまもなく、なにかが私の中でぷつりと切れた。 麻酔とは、こんなふうにスッと突然に身体の中から抜けていくものなんだと思った。 舌からじわりと広がった痛みが、あっという間に全身を貫くような痛みに変わった。 耐えきれぬ痛みに泣いた。 声を出すこともできず、ただ痛みに泣いた。 夫は「駅に着くまで、家に着くまでの我慢だ。がんばれ。」と励まし続けてくれた。 いつもの、ほんの一時間が、永遠に続く地獄の時間のように思われた。 やっと家に着き痛み止めを飲み眠った。 が、痛み止めが切れかかるたび、痛みで目が覚める、血の混じったよだれが出続ける。 私もよく眠れなかったが、夫は一晩中看病してくれた。 病院のつきそいと一晩の看病が夫の身体にとって、とても負担だったことはこの晩は、私も夫もまだ知るよしもなかった。 ...
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