虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2015年07月02日(木) 溢れ出す。

疲れて泣きそう。

−23:17

 時代とか新しいものとか、そういうのについていけなくって文句を言い出す老害になりつつある……。

 どこかで、腹にたまったグッロいドロドロを適切に処理しないと、なんか誰かに迷惑をかける形でぶちまけそうで、そんな自分にちょっと恐怖したりしなかったり。そろそろ理性が吹っ飛びそう。いや、理性的なんてものとは程遠い人種だけどさ!()

 旦那氏とお喋りするにはもう重い、友人にはそもそも話せない、そんな自分の不満。6月21日以来、少しずつ、ほんのすこーしずつ、自分に疲れてしまっていってる気がする。
 どうでもいい自分の身の上話をして、結局帰結するところは色んな意味での、でも全然意義のない申し訳なさ……、罪悪感とか自己嫌悪、被害妄想も膨らんでしまうのかもしれない。そういうどう考えても負の感情。

 申し訳ない、読み流して欲しい。ダダ−っと打ち込んでしまう。

 生きてる年数の約半分を人格障害を意識しながら生きてきて、15年あっという間に過ぎて、その間社会的な人間とは程遠い暮らしぶりをしてきて、今もそういう状態から抜け出せなくって、クソの訳にも立たないがクソみたいなプライドだけは捨てられなくって、負け犬の遠吠えしかできない自分が惨めで仕方なくって、上から物を言われたり、蔑まれたり、貶されることはあっても逆転することは決してなくって、そういう自分にしかなれないのかなぁとまだ薄ら寒い希望を捨てきれもせず。言われないようにするには、脱却するしかない。言わせないようにするには、自分が変わるしかない、やるしかない、昨日と同じことを明日も、明後日も、すっげぇ疲れるけど、そんな疲労は働いてるこっちからしたらさぁって言われても仕方がないから言わない方がいいって、自分を戒めながら、明日も。

 とか、そんなこと考えながら生活するのって、やっぱり疲れるって正直に言いたい気持ちを持ってしまう。
 理解し合えるものではないけど、だからと言って感覚的にこいつは下だなと判断してレッテルだの揶揄だの差別だの偏見とかばっかりで僕を語ろうとせんで。
 
 ……なんて、生身の人間相手に面と向かっては言えませんな。

 言われて腹がたった、その怒りを原動力に、レッテルを貼らせるスキを与えない人間になりたい。




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