月兎の日記
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2005年04月04日(月) 戯れ言、その2。(wataru)

だーかーらー、タイトル考えるの苦手なんだってば。

っていうわけで。
こうして日記が書けるってことはおそらく平和な証拠なんでしょう(笑)。
でも仕事はしましたよ、ちゃんと、今日も事務所で編集作業してました。

6年前のお話。
まだ月兎も結成してませんでした。

その頃の私のシステムはRolandのMV-30という単体シーケンサーをメインに
AKAIのHDレコーダーやSONYのMDレコーダーを使って作曲をしていました。

実はこのMV-30にはかなり思い入れがあります。
1991年に発売されたこのマシン、内部8、外部8トラックの16トラックシーケンス機能。
最大同時発音数30の音源を積んだスグレもの。しかも簡単なエディットもでき、本体に
フェーダーもあってミックスもできる。内部音源の出力に多少のノイズがでちゃうことを
除けば当時のシーケンサーとしては最高峰だと思っています。さすがに新品では買えない
値段だったので中古で購入しましたがそれでも当時としては思いきった買い物だったかな。
こうして以後の私のシステムの中核をMV-30が担ったわけです。
MCシリーズや当時のワークステーションシンセに比べてディスプレイ画面が大きくて
音色のエディットやシーケンストラックの編集がやりやすかったかな。
そして私の作曲ライフ、打ち込みライフはさらに進化したのです、多分。

今の若手のクリエーターさんは知らない人もいるかもなので参考までに。
              ↓
             ここ

でもそんな単体シーケンサー、単体レコーダー全盛の時代はPCベースのシステムにとって
かわっていくのでした。

初めての仕事で外部スタジオのレコーディング。これは大変でした。
今では自宅でデータを作ってCDRにやいてスタジオでMixなんて当たり前のようにやってること
ですが当時PCベースのシステムを組んでいなかった私は自宅の機材をほとんど全部スタジオに
運んで(これだけでも大変)、ProToolsに1トラックずつ流し込んでいく。しかもMV-30は
テープシンクのみだった(と思う)のでProToolsとの間にシンクボックスをかまさなきゃならないし
もうそれはそれは大変でした。まぁ、そういう大変さを乗り越えて作った作品には今でも愛着は
あるし、経験してすごくよかったと思ったんだけど。
その反面、そのレコーディングは大きな転換期にもなりました。
ハード機の限界を感じた瞬間、とでもいうのかな。
当たり前が当たり前じゃなくなっていく、というか。その当時にはすでにPCシステムも普及しつつ
あった中、かたくなにそれを否定して懐古主義じゃないけど自分のシステムを変えなかった自分が
いたわけです。
それが見事に崩されたのです。

  え?こんなこともできるの?あんなことまでできちゃうの?
             まぢ?

みたいな。

雑誌とかでなんとなく理解はしてたものの、やはり百聞は一見になんとやら。
がらっと思考が変わった私はそれまでのガンコさはどこへやら、どんどんとPCシステムに
移行していくのでした。その辺の話はまたいずれ。

でもね、古いものの良さはのこしつつ、新しいものを取り入れていくスタイルって大事だよね。
何が古くて、何が新しいのか、何が必要で何が不必要なのか。
それを鋭く感知するアンテナをはって、もっと自分を高めることができるできればいいよね。

すいませんねぇ、上手く説明できなくて(笑)








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