「格闘娘は料理下手」の公式はグローバルスタンダードであることが証明されました。8年前にティファちゃん@FF7が打ち破った公式ですが、このジャンルはまだまだ保守的ってことですね。
エオウィン嬢がますます好きになったシーンです。
原作を読んでいた私は「森が動く」と「エントの水」は観たかったシーンなので願いが叶って嬉しいです。
でも3部のラストまでメリーとピピンの身長がフロドたちと変わらなかったのはとても残念…。
今回は
日本語吹替に脚本家のコメンタリー字幕で見ました(邪道過ぎ)
特典映像やコメンタリーって、映画を見るだけだとわからない制作者側の意図や隠しコマンド(笑)を知ることができるから大好きです。
特に原作付き映画の脚本家のコメントは好き。
「原作との相違」についての理由はとても興味深いモノがあります。
私たち視聴者は本を読むのと、映画を観るのとで、あまり違いを意識したりしないけど、制作者にとっては随分と違うものなんですねぇ。
1本の映画として作る場合、「主人公の山場は不可欠である(というより、観客がソレを求める)」とか、「観客が混乱しないようにする」等の配慮がまず念頭にある、とか。
制作者側に立って考えたりすることってないから、目から鱗な発見が盛りだくさんで面白いです。
一番納得させられたのがラストシーンの相違でした。
原作だと2部はフロドとサムが大蜘蛛に襲われるシーンで終わるのに、映画だとそれは3部にまわされているんです。
すごい不思議だったんですけど、大蜘蛛に襲われるシーンって、時系列的にはオスギリアスが墜ちた後(ピピンとガンダルフがミナス・ティリスに着いた後っていうか、つまり映画だと3部の半ば)の話だったんですね。
【指輪物語】ではチームが3分裂した後、それぞれのチームの描写が時間を遡って書かれているので原作のまま映画化してしまうと矛盾が生じてしまうとのことでした。
なるほどー。
どーでもいいですが、この小説の書き方を脚本家たちは「掟破り」みたいなこと言っていました。
【源氏物語】では当たり前によく使われている手法なんだけどなー。
西洋の文学的な知識は皆無なので、よくわからないけど、日本じゃ普通だよね…?
それから、制作者と視聴者(っていうか自分)の原作のとらえ方(コレは必要なシーンだ!とか、ココは変えても物語に影響はないシーンだ、とかの感じ方)が微妙にズレているってのも面白いかも。。
そんなの発見したからって、特にどうだってことないんだけどね。