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2003年12月13日(土):映画【ラスト・サムライ】

渡辺謙が評価されていますが、

やっぱトムだろ、トム。

ロン毛&おひげのトムがアップになるたびにウットリしてましたのことよ。

てなわけで、【ラスト・サムライ】観てきました。
キャラクターがとても魅力的でした。
氏尾と忠信が大変よろしかったです♪
特に忠信!
「私にかまわず行って下さい」だなんて。
よもや、洋画でこんなお約束な台詞を聞くことができようとは思ってもみませんでした。

心配していた「誤解を招くような表現」もなくて、これには感激☆
騎馬武者初登場のシーンはそれこそ武者震いモノでした。
霧の向こうからほら貝の音、沸きあがる薑の声。姿が見えない敵におびえる味方(官軍)
おぉ!!戦国時代だっ(爆笑)
てか、維新後10年も経ってるってのに甲冑姿の武者はないだろ、オイ。
あんなカッコじゃ幕末どころか関ヶ原でも時代遅れな気がするんですけど…?
とは思ったものの、「まぁ、映画ですから」

ただですねー。
勝元の人物像は?????でした。
彼、結局何がしたかったの…?

「侍」・「武士道」への拘りと、主上(おかみ)への忠誠心のあり方がイマイチ説明不足じゃありませんでしたか?
別に明治時代に甲冑武者が登場して弓矢で銃に向かっていってもいいんです。
「ありえへん」と言えばありえないけど、この映画は「そういう侍がいた」って話なんですから。

しかしですね。
勝元の人物設定には大いに疑問を感じました。
私利私欲のために日本にとっては不利な条約を結ぼうとする大村と対立し、負けて下野したって設定でしょ?
更に、主上とのやりとりから勝元は「主上のため、日本のために尽くしたい」忠臣であることがはっきりと描かれています。
反乱も、どうやら実権を握っているらしい大村を排除する(っていうよりは困らせてやるぅ〜☆って感じでしたが)為ってのも理解できます。
私腹を肥やすことと、形だけの近代化で伝統を排除する大村に対して、「武士道(ここで言う武士道って伝統の他に「私利私欲の対極」って意味合いもあったみたいですしね)」に拘るってのもわかるんだけど…。

それが弓矢だけで反乱を起こす理由ってのはちょーっと無理がありませんこと?
現実として、弓と矢だけで銃と大砲に勝てるはずがないじゃないですか。
もし、勝元が「侍として生きる」ことだけにこだわり、滅び行く「武士」と共に死に花を咲かせたいと願っているならそんな戦いもアリっていうか無駄ではないでしょう。
しかし、彼は「日本が列強に支配されること」を愁うる忠臣でもあるんですよ?
死んだ(負けた)ら終わりだろーが。
新しい時代を作るのは老人ではないっ、てなノリなんでしょーか?

日本が独立を保つには、産業的にも武力的にも一刻も早く近代化が必要だった時代です。
銃を拒否して列強の支配から逃れられるはずがないことくらい、英語を理解する程の知識人であった彼がわからないはずはないでしょう。
そこらへんに私は彼の矛盾を感じちゃったんですよねー。
「侍であること」と「主上への忠誠」、この二つを同時に存在させられてないっちゅーか。
ムリして(って言ったら失礼かな)二つ同時に描かなくても「侍であることへの拘り」だけでよかったんじゃないかしら?
っていうか、最後はそうだったんだし。

「侍」と「忠義」を違和感なく描きたかったんなら幕末の会津藩辺りをモデルにしたらよかったのにね。
その場合、忠義の矛先は「将軍」でよろしく。

ダメだしついでに。
ラストで、官軍の兵士達が勝元の死に様に跪くシーン。
言いたかないけど、官軍はほとんどが農民です。
武士道を解するわけねーだろーがっ。
一番ダメダメと言いたいのがこのシーンです。
ありえない、ありえないよ、ママン。

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