『庭の話』

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Fさんの庭

今の家に住む前に、15年暮らした家が割とご町内にある。
それほど遠くへは越さなかったのである。家主がそろそろ老齢のため、新しい環境は
馴染まないと言う理由があったのかも知れない。聞いてないけど多分そうだろう。
ずっと長い事 お隣さんだったFさんのお宅とは、引越し後も交流があった。
定年退職しているご主人は趣味の庭にいそしみつつ、たまに奥さんに自分でラーメンを
作り 振舞っていると言う、手まめな方であった。
とは言え、ちょっと気難しげに見えるこのおじさんが私は少々苦手であった。
だから15年、通りすがりに頭を下げる事くらいしか した事は無い。
親が親しくお付き合いをさせて頂いていたため、息子を連れて或る日、お邪魔する
事になった。「となりのおじさん」ことF家のご主人は、春も早い家の中に沢山の
サルビアの苗を育てていた。
庭ではコルチカムとギボウシが芽出しを終えたところだった。コルチカムはやがて
葉が枯れ、秋も半ばを過ぎて突然クロッカスみたいな花を咲かせるまで休む。
どちらかと言えば、春先の葉の方が印象深い。
ギボウシは白い斑の美しい見事な物だった。「すごいですね」思わず言った。
「これはホワイトクリスマスと言うんだよ」とF家のご主人。
ええ、そうかなあ?ちょっとホワイトクリスマスにしては葉がうねっている様な
気がするな。うちにも一株あるけれど、ちょっと違う気もするな。でもまあ、いいや。
「殖えちゃってねえ、困ってるから今度持って行ってあげる」 やった!
「ありがとうございます」
ちょっと怖かったおじさんはすっかり好々爺となっており、孫がみな大人になったと
寂しそうに言って、息子と遊び チョコレートをくれた。

それから数日後、Fさんはいきなりやって来た。新聞に包んだ大量の植物。
「ど、どうぞお入り下さい」慌てるこちらに、いやいやと手を振って行ってしまった。
大量のギボウシの苗とコルチカム、そしてジャーマンアイリスの小芋が残された。
何かお礼を と言う私に親はやんわりと「こちらの付き合い」を強調する。
世代が違う付き合い方と言うものはあるらしい。だから私は植物の世話をする事にした。

一年後、ギボウシが芽を吹き、昨年は芋のままだったジャーマンアイリスが蕾を
付けた。大急ぎで適当に植え付けたので植え替えないとと思いながらもこれは嬉しい。
明日はアイリスが咲くだろうというその日、電話が鳴った。
Fさんが亡くなったと言う報せだった、癌だった。
訪ねると残された奥さんが、孫達がお祖父ちゃんとの別れに書いた手紙を見せてくれた。
庭では比較的手間要らずのギボウシとコルチカムが何事も無かった様に場所を取っていた。
「今年も植えるつもりでサルビアを育てていたんですよ」と奥さんが言った。

それから2年、頂き物のギボウシは少し大きくなった。気のせいか斑も大きくなり
やっぱりホワイトクリスマスである様にも思える。
「だからそう言ったろう」 とFさんが笑っているような気がする。


頂き物のジャーマンアイリス。お孫さん達は大きくなった。
Fさんの花もまた殖え、季節になればこうして咲く。


管理人 焙煎 |午後からガーデン