2024年04月12日(金) |
食べたことがない名物料理と幻のふぐ体験 |
職場の休憩室に東京土産のお菓子が置いてあった。同僚が連休をとって旅行に行ってきたという。
「東京って意外と行く機会なくて、おのぼりさんしてあちこち観光してきたわ。月島で初もんじゃもしてきたで」
すると、すかさず「どんな味やった?見た目通り?」と声が上がり、「え〜、見た目通りの味やったらイヤすぎるやん」と笑いが起こった。
関西ではもんじゃ焼きはなじみがなく、私の周囲では食べたことがないという人が多い。私は二十年ほど前に初めて食べたが、それまでは作り方も食べ方もわからない謎の料理だった(いや、いまも自分では作れないし、食べ頃もよくわからない)。
「けっこうな値段するのにおなかふくれへんねん。あれは食事?それとも軽食?」
と同僚が首をひねっていたが、もんじゃ焼きの位置づけについては私も疑問である。
あれでビールは飲めても、白いごはんはすすまない気がする。しかし、もんじゃ焼きだけでおなかを満たそうとしたらかなり高くつきそうだ。
あちらではどんなふうに食べられているんだろう。私にとってたこ焼きは「おやつ以上食事未満」で「昼ごはんならいいけど、晩ごはんにはならない」という立ち位置であるが、そういう感じなんだろうか。
そこから昼の休憩室は「食べたことがない名物料理」というテーマで盛り上がった。
ジンギスカン、ふな寿司、わんこそば、馬刺し、丸鍋(すっぽん鍋)、北京ダック……と次々と挙がる中、私が思い浮かべたのは「ふぐ料理」だ。
いや、正確に言えば、「ちゃんとしたふぐは食べたことがない」。ちゃんとしていないふぐなら一度食べたことがある。
ある冬のこと、てっちりというものを食べてみたくて大学時代からの友人A子と下関に出かける計画を立てた。同級生のB君があちらに住んでおり、接待でときどき使ういい店があるからと案内してくれることになっていた。
が、直前になって彼からインフルエンザにかかったと連絡が入った。私たちのことはやはり下関在住のC先輩に頼んであるから心配ないと言う。
それで私たちは急遽、Cさんにアテンドしてもらうことになった。
……のであるが。
雑居ビルのかびくさいエレベーターに乗って到着したのは、場末ムード満点のスナックだった。
きょとんとしている私たちに、「ここのママには世話になってるんだ」とCさん。
ああ、なるほど、紹介がてら私たちを連れて来たのね。そしてちょっと飲んだら、ふぐを食べに行くつもりなのね。
そっかそっかと席に着くと、昭和な髪型をしたママが「大学の後輩なんだってえ?」と言いながらやってきた。「あ、はい」と答えながら、私の目は彼女が手にしている一口コンロに釘付け。
まさかそれ、このテーブルに置いて行くんじゃないよな……。
ドキドキしていると、私の視線に気づいたママはにっこりして言った。
「ふぐは初めて?」
最初、私はそれが「てっさ」だとわからなかった。大きな丸皿に花の形に並べられていたのではなく、角皿に小山のように“盛られて”いたからだ。
しかも、ヘタをしたら一センチくらいあるんじゃないかというほど身が厚かったのである。ふぐの刺身というのは皿の絵模様が透けて見えるくらい薄く引くものじゃなかったのか……?
A子も同じことを思ったらしい。「これ、むっちゃ分厚ない……?」とつぶやいたら、ママは得意げに言った。
「でしょ。こんな厚いの食べさせてくれるとこ、ほかにないわよ」
なぜふぐは薄造りにするか。弾力があって身が固いため、厚切りだと噛み切れない。一度に二、三枚とって好みの歯応えにして食べられるよう薄くするのだと聞いたことがある。
私は心の中で「分厚いほうが得とかいう問題ちゃうやん!」とツッコんだ。
そんなふうだから、てっちりのほうも言わずもがな。まだ沸騰していない湯の中にふぐのあらをどかっと投入するママ。
ふぐというのは繊細な味らしいから、熱湯ではだめなのかしら……と一瞬考えたが、いやしかし、鍋の具材はふつう煮立ってから入れるものである。思いきって訊いてみる。
「あの、沸いてなくても入れちゃっていいんですか」
「蓋してたらすぐ沸くわよ」
しばらくしたら鍋がグツグツいいはじめた。するとママは、
「ふぐ鍋はね、ぽん酢をつけて食べるのよ」
とおごそかに言い、ミツカンの味ぽんを私たちの前にゴン!と置いた。
のぞみに乗って出かけた下関で、私はふぐを数切れしか食べなかった。
味の問題以前に「このふぐ、まさかママがさばいたんじゃ……」と思ったら恐ろしくて、どうしても箸が伸びなかったのである(ちなみにA子もC先輩も生きている)。
そんなわけで、あれは私の中で“ふぐ体験”としては認定されていない。
後日、B君にありのままを伝えたら、「次はちゃんとしたのを食べさせてあげるから」と請け合ってくれたが、しばらくして彼は東京に転勤になってしまった。
ふぐ料理店はこちらにももちろんあるが、友人と会って「なに食べる?」「じゃあふぐ」とはならないし、家族との外食時もしかり。「ここまできたら、初ふぐは本場で」という思いもある。
で、そうこうしているうちに幾年……。あー、また鍋の季節が終わっちゃった。
【あとがき】 ふだん食べている家庭料理に好き嫌いはほとんどないんですが、名物と言われている料理の中には素材のイメージと見た目で「無理だあー」と思うものがいくつかあります。 たとえば、すっぽん。丸鍋をごちそうすると言われても断るな……。すっぽん料理のコースでは生き血が出てくるそうで、「ワインやジュースで割ってあるから意外と大丈夫だよ」と言う人がいるけど、おいしいマズイの問題じゃない。仕事で人の血を見るのは平気なんですけどね。 |