同僚のA子さんは車通勤であるが、夜勤のときは夫が送り迎えをしている。
「自分で行くからいいって言っても、帰りに眠くなったらどうするんだってきかないんだよね」
と彼女が言うと、「愛されてるなあ!」「だんなさん、なんでそんなに優しいの」と声があがった。A子さんは五十代後半。結婚して何十年経ってもそこまでしてくれる夫がいることにみなが驚いたのだ。
すると、
「いや、うちは結婚してまだ五年なんだよね」
と彼女。えっ、そうなの?
「籍を入れるつもりはなかったんだけど、息子が『老後ひとりでいるよりいいじゃないか』って」
そこから昼の休憩室は熟年離婚ならぬ、「熟年再婚」の話になった。
この先シングルになったとして、出会いがあって子どもが成人していたら結婚を考えるか。そうしたら、その場にいた五人全員が「考えない」と答えた。
「結婚は向いてないってわかったから、もう一生ひとりでいる」
「子育てがやっと終わったんだから、もう誰のためにも家事とか世話とかしたくない」
「その歳で結婚したら、相手の親の介護がもれなくついてくるんだよ。無理でしょ」
「生活の面倒をみてもらわなきゃならないわけでなし、恋人のままのほうが自由で気楽」
そうだよねえ、いまさら妻だの嫁だのの役目を負いたくない、と私も思う。
一緒に暮らし、家族になっていく過程で得られるものがあることはわかっているが、生活を誰かに合わせたり、ときにはケンカをしたり悩んだり、それがもう面倒くさい。住み慣れた街を離れる気はないし、親戚付き合いが増えるのも億劫。もうそういうことに時間や神経をつかいたくない。
それより仕事がしたいし、友人と会いたいし、保護猫活動のボランティアがしたいし、犬を飼いたい。
結婚は一回経験したら十分だ。
「三十年もかかっちゃったけど、遅くなったな、ようやく籍を入れられるな」
先日再婚した貴乃花さんの相手は、十七歳のときに交際していた初恋の人だそう。彼女との初デートについて語った貴乃花さんのインタビュー動画を見た女性が手紙を書き、三十数年ぶりの再会につながったと記事にある。
女性は「死ぬまでにもう一度だけ会ってみたい」と思っていたというから、自分との思い出が「いまでも心の支え。それがあるから、少々のことがあっても耐えられた」なんて聞いたら、いてもたってもいられなかっただろう。
ある人を思い出すとき、私はいつも不思議な気持ちになる。
「本当にこのまま終わっちゃうのかな、もう一生会うことも話すこともなく……?そんなことってあるかな」
この先二度と人生が交わることはないとはどうしても思えないのだ、どれだけときが経っても。
もしいつか、「長いこと待たせてごめん。……怒ってる?」と顔をのぞき込んで言われることがあったなら。
「なにが『二年でかならず迎えに行く』よっ!」
で、さっき書いたことはちゃらになっちゃうんだろうなあ。
【あとがき】 以前、「初恋の女性との思い出がいまでも心の支え」と語ったという記事を読んだとき、「この人、メディアにこんな話するんだ?」と意外に思ったのでした。「五十歳手前でひとりになって、何の違和感もなく慣れてしまいました。本当にひとりの生活が快適です」と言いながらも、心のどこかでは思いが彼女に届けば……と思っていたんじゃないでしょうか。 いまは「貴花田」だった頃に戻ったような気持ちで彼女と過ごしているんじゃないかなあ。いろいろあった人生だろうから、これから青春を取り戻して幸せになってほしいです。
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