ショッピングモールのイベント広場に幼稚園児が書いた七夕の短冊がたくさん飾られていた。
「アイスクリームになりたい」(「屋さん」が抜けているのかな?)
「すみっコぐらしのとんかつになりたい」
「いもうとになれますように」
幼い子どもの願い事は本当にかわいい。小さな頭の中でこんなことを考えているんだ、と頬が緩んだ。
当然のことだが、もう十年もしたら“なりたいもの”はがらりと変わる。
ソニー生命が昨年実施した「中高生が思い描く将来についての意識調査」によると、男子中高生のなりたい職業ランキング一位は「ユーチューバー」だ。
「好きなことで生きていきたい」「仕事が楽しそう」「当たれば人並み以上の収入が得られる」といったところだろうか。
ふうむ、私にはそんな“おいしい”仕事には見えないけれど。
厖大な数の動画が毎日投稿されては消えていく。その流れの激しい場所に留まるには、“見る価値がある”と思ってもらえる動画を生みだしつづけなければならない。どんなにプレッシャーだろう。
ネットニュースでは炎上した動画がしばしば記事になるが、「大人が何人も関わっていて、よくこんなのが世に出たな」と毎回あ然とする。編集作業をしながら繰り返しそれを見ただろうに、「やっぱこれ、まずくない?」という声が誰からもあがらなかったのが信じられない。
視聴者に飽きられるのが怖くて、目新しいこと、誰もやっていないことを血まなこになって探しているから、「見る人を不快にさせないか。子どもが真似をしたら危険ではないか」なんて考える余裕もないのだろう。いや、そういうことに配慮していたらできることが限られてしまうからか。
手っ取り早く再生回数を稼ごうとすると、内容が過激になっていったり、こんなことまで動画にあげるのかと思うようなプライベートの切り売りをしたりするようになる。
ブログでもフォロワーを減らすまいと毎日更新を掲げる人がたくさんいて、ネタ切れの苦悩はしょっちゅう話題になる。趣味ですらこうなのだから、生活がかかっていたら次の企画のことでいつも頭がいっぱいにちがいない。
私の中では、ものすごく稼いでいると言われている有名どころのユーチューバーも水面下では足を必死にバタバタさせているイメージだ。
ところで、なりたい職業ランキングには大人版もあるらしい。
webメディア「エラベル」が全国の十代から七十代の男女千二百人あまりにアンケートをしたところ、一位は「ライター」だったそうだ。
文章の読み書きが好きな人が集まるこういう場所にライター志望の人がたくさんいても不思議じゃないが、一般の人の間でも人気の職業であるとは驚いた。
この趣味を長くつづけているくらいだから私も書くことは好きなほうだが、言葉を扱う仕事をしたいとは思ったことがない。
数分の動画がその何十倍もの時間をかけて制作されるように、一本の記事も情報収集、原稿の執筆、推敲といくつもの工程を経てようやく完成するのだろう。その労力を考えたら、「ふつうに働いたほうがずっとラクだな……」と思ってしまう。
それに、「書くことが好き=書く仕事に向いている」ではないだろう。
新着リストやおすすめにあがってきた誰かの文章を読み、その視点や発想に圧倒されてプロフィールを見るとライターや編集者として実績のある人だった、ということがある。さらっと書かれた(ように見える)日常雑記でも、すごさがわかる。
教わったり経験を積んだりすることで身に着くスキルもあるが、センスは持ち前のもの。それがあるとないとでは仕事のクオリティに大きな差が出るんじゃないだろうか。
ちなみに、私が大人になってから「なりたい」と思った職業は小児科の看護師。
ひとり目を出産したときに一生の仕事にしようと決め、ふたり目を生んだあと看護学校に入学。資格を取って、いまに至る。
自分で言うのもナンだけれど、けっこう向いていると思っている。
【あとがき】 「働くのは生活費を稼ぐため」と割り切っている人もいるけれど、これほど多くの時間とエネルギーを費やすのに、得られるのがお金だけというのはもったいない気がします。私にとっては仕事も私の人生を構成する重要な要素。 |