ひさしぶりに御座候を買って帰ったら、包みの中に紙が一枚入っていた。
公募した御座候にまつわるエッセイの中から選ばれた一編が掲載されており、年配の男性が大学生だった頃の思い出をつづったものだった。
御座候によく似た大判焼の店があり、十個食べるとタダになるというので柔道部の仲間五人で出かけた。全員完食し、数日後新たなメンバーも連れて再び店に行ったところ、「十五個食べたら無料」というルールに変わっていた------という内容である。
あれだけ餡がずっしりの大判焼を十個というのはなかなかハードだ。とはいえ、大学生の男の子だったら柔道部でなくても食べられるかもしれない。
大学生の頃、学校の近くのカレーハウスCoCo壱番屋に「1300gカレー」という大食いチャレンジ用メニューがあった。通常のカレーの四皿分以上の量なのだが、二十分以内に食べきれば無料になるのだ。
金欠にあえぐサークルの先輩たちはこぞって挑戦し、けっこうな割合で成功していた。達成者はポラロイド写真を撮られて店内に張り出される。ココイチに食べに行くと壁のあちらこちらに見慣れた顔を見つけ、苦笑したっけ。
あのくらいの年だと底なしの胃袋を持つ男の子はめずらしくないんだろう。
実を言うと、私も過去に一度だけ大食い競争に参加したことがある。
やはり大学時代のこと。同級生のAくんにローカル局で深夜に放送している番組に出ないかと誘われた。
五人一組で参加する大学対抗のクイズ番組で、何度か見たことがある。私はその場で「いいよ」と答えた。
Aくんは地元に彼女を残してきており、私は長らく“女友だち”という不本意な立場に甘んじていた。しかし、勝てば居酒屋の一年間飲食半額パスポートをもらえる。せっせと彼を誘って飲みに行き、思いを遂げるんだい。そんなことを瞬時に思いめぐらせたのだ。
数か月後、男三人と女二人のチームで出場することになった。
クイズ番組と銘打っているが、早押しクイズのほかにも体力勝負のゲームと週替わりのゲームがあり、三つのコーナーの合計点で勝敗が決まる。
早押しクイズは楽勝で、ほとんどのポイントをこちらがいただいたと記憶している。体力勝負のゲームは反復横跳びの回数を競うもので、これまたわがチームが優勢であった。
「大ゴケしなきゃいけるぞ」
そして、いよいよ最終ゲーム。
「今週のみなさんにやっていただくのはーー」
司会の桂きん枝さん(現・桂小文枝さん)が叫ぶ。
「大食いバトルだあっ!!」
あ然とした。週替わりのゲームがよりによって大食い競争、しかもそれを好きな男の子の前でやらなければならないなんて。そんな醜態晒したら、まとまるものもまとまらなくなっちゃうじゃないか。
しかし、カメラは回っている。この状況で私が選択できるのはふたつにひとつ。テレビ映りを気にしてチームの足を引っ張るか。先のことはいったん置いておいて、とりあえずチームのために力を尽くすか。
覚悟を決めた。
……はいいが、何の大食いなのかが不安でたまらない。司会が桂きん枝さんと和泉修さんというところから察しがつくように、この番組はお笑い色が濃い。過去の放送では、出場者が苦悶の表情で丸ごとの大根やらキャベツやらにかじりついていたこともあったのだ。
さすがにあんなのはイヤだよお。
スタジオの袖からカートが運ばれてくるのを息を詰めて見つめる。うやうやしく布が取り除かれ、現れたのは……籐のカゴに山盛りになったイチゴだった。
今回は男女混成チームであることを考慮してくれたのだろう。私、イチゴならがんばれる!
Aくんとの未来がふたたび射程範囲に入った。
と思ったそのとき。隣にいたBくんが悲鳴のような声をあげた。
「ぐわあ、俺、イチゴ食えんのやー」
……へ?
蜂の子やこのわたが出てきたというならわかるが、イチゴである。「とくに好きではない」はあっても、「食べられないほどきらい」なんてあるものだろうか。
が、彼の「食えない」は本当だった。一年間飲食半額パスポートを鼻先にぶら下げられたその状況でも、ひと粒も口に入れることができなかったのである。
後で訊いたら、子どもの頃に練乳をかけたイチゴにアリがたかっているのを見て、どうしても無理になってしまったそうだ。
パスポートは逃したけれど、収録のときにもらったTシャツでAくんとペアルックをするという“彼女気分”は味わえた。
「明日学校、あれ着て行こうよ」
「オッケー」
いま思えば、そんなこっぱずかしいことによくつきあってくれたものだ。
Aくんは卒業後まもなく、遠距離恋愛をつづけていた地元の彼女と結婚した。彼からは三十年たったいまでも誕生日にメッセージが届く。
若い頃、「いまの関係が壊れるのが怖い」と気持ちを伝えずにいる友人を見ると、
「友だちと恋人とでは得られる幸せの濃度も量もぜんぜん違うんだから、いちかばちかチャレンジすればいいのに」
ともどかしくてしょうがなかった。だけど、淡いからこそ末永くつづくのなら、それもありなのかなといまは思う。
人生において誰かと愛し合った時間は、夜空に咲いた大輪の花火のようなもの。思い出すと胸が痛くなるほど美しい。でも、ふと見上げるといつもしずかにそこにある小さな星の瞬きもまた尊い。