同僚が休日に京都に行ってきたという。
風情のある街並みを散策しながら、「せっかく来たんだから京都らしい店で食べようよ」ということになり、町家造りの小料理屋風の店の暖簾をくぐった。落ちついた雰囲気に「高かったらどうしよう」と話しながらふと見ると、壁に「ご紹介のない方はご遠慮いただいております」と貼り紙がしてあるではないか。
場違いなところに足を踏み入れてしまった、とあわてて店を出たそうだ。
「『一見さんお断り』の店って本当にあるんだね」
と彼女が言うのを聞いて、ふと思った。
enpituのこのページもバーチャルな空間に開いた個人商店みたいなものだが、エッセイや日記といった“読み物”を品揃えするこちらの店は一見さん大歓迎である。
もし有名どころにリンクされてアクセスが急増しても、“常連さん”がページに入れなくなるなんてことはない。新規のお客が増えても、不便や迷惑をかける心配はないのだ。
とはいえ、どんな人でも来てくれたらうれしい、ありがたいというわけではない。
日記書きの友人がめずらしいカウンタをブログに取りつけたことがある。何十秒か経過したときにはじめてカウントする仕組みになっている。彼女はテキストを最後まで読んでくれた人がどのくらいいるかを知りたかったのだ。
そうしたら、アクセス数がいつもの四分の一になってしまったという。彼女のサイトを訪れるのはふだんから交流のあるメンバーが多かったため、ショックを受けた。
「つまり、読んでくれてると思ってた人のほとんどがろくに読まずにバックボタンを押していたのね……」
誰かになにかをしてもらったら、同じだけお返ししないと申し訳ないという気持ちになるものだ。
「うちのを読んでもらってるから、◯◯さんのところも行っておかないと」
「コメントくれたから、私もなにか書きに行かなきゃ」
という具合に。しかし、私はこう思われるのがイヤなのだ。
たとえ「いいね!」一個でも受け取りっぱなしでいることにすまなさを感じる人はたぶん少なくない。だから、私は足あと代わりに押すことはしない。義理読みを招きたくないばかりに、行きつけのページにもそれを贈ることには慎重になってしまう。
見せかけの訪問や中身の詰まっていない「いいね!」はいらない。私は喜ばないし、あなたの時間ももったいないから。
だから、ブログ自動巡回ツールというものがあると知ったときはあ然とした。
「毎日の足あと作業に追われ、貴重な時間をムダにしていませんか?これを利用すればワンクリックで登録ブログに足あとをつけることができ、アクセスアップが期待できます」
だって。
義務感で読まれたくはないけれど、Botに巡回されて「いいね!」されるのはさらにノーサンキューだ。フォロー返し目的で自動的にフォローを行う機能もついているというから、もう笑うしかない。
「どうしてフォローをはずしたんですか」とメッセージが届いて、友人が返答に困っていたことがある。
しかし、年を取ったり生活が変わったりすれば嗜好や関心事は変化するもの。フォローリストはその時々で見直せばいいのだ。
逆に言えば、「あれ、フォロワーがひとり減ってる……」と気づいても、「嫌われるようなことを書いただろうか」なんて思い悩む必要はないということ。
それに。私は同じ書き手として、誰かが真剣に書いたものを義理や惰性で読みつづけるのは失礼だと思うんだ。
【あとがき】 不特定多数に向けてweb上に文章を公開するこの趣味には、「書く」「読む」「交わる」の三つの楽しみがあります。でも「読む」楽しみは、自分が読みたいと思うものをきちんと読むことで味わえる気がします。 |