職場の後輩の話である。
残業を終えて帰宅すると、五分も経たないうちに玄関のベルが鳴った。インターホンに出ると、「上の階に引越してきた〇〇です」と男性の声。ドアを開けると、大柄な若い男性が立っていた。
が、なんだか変。とくに話すこともないから切り上げようとするのに、曖昧な笑みを浮かべたまま立ち去ろうとしないのだ。肩越しに部屋の奥を見られている気がしてドキリとしたとき、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえた。
男性がそちらに気を取られた隙に、彼女は少々強引にドアを閉めた。
「よその家を訪問するには遅すぎる時間だし、帰ってきたのを見ていたかのようなタイミングだし、引越しの挨拶なのに手ぶらだしで、引っかかってたんですよね。そしたら昨日、ショックなことがわかったんですよ……」
えっ、どうしたの。
「うちのマンションに〇〇って名前の住人はいなかったんです」
ひえええー。そこから昼の休憩室はひとり暮らしの女性の防犯対策の話題で持ちきりになった。
「やっぱり玄関には護身用のグッズを置いておかないと」
「悲鳴あげたって近所の人は助けに来てくれないからね。あわてて自分ちの戸締りを確かめるだけ」
「うちはゴルフクラブ置いてる。いざというときはそれで」
ほかにも、実家を出るとき弟が部活で使っていたバットを親に持たされたとか、小学生がランドセルに吊るす防犯ブザーを靴箱の上に置いているというスタッフがいた。
そういえば私もむかし、玄関には男物の靴や傘を置いておけ、ポストの表札には父親の名前も書けと言われていたっけ。
この話をしながら、私は最近ネット上で炎上した二人組女性ユーチューバーによる恫喝ドッキリを思い出した。
「配達員装ったおっさんが勝手に家に入ってきた時の相方の反応がやばすぎた」というタイトルのその動画は、メンバーのひとりがもう一方にドッキリを仕掛けたものだ。
「ウーバーイーツの配達員がいきなり家に押しかけてきたら、〇〇ちゃんはどんな反応をするのか見ていきたいと思いまーす」
|
配達員に扮した知人男性に「めちゃめちゃビビらしてください。全然泣かしてくれても大丈夫なんで」と指示し、彼を相方の自宅に向かわせる。打ち合わせ通り、男性は荷物を渡すと玄関に侵入。怯えて後ずさりする女性に写真を撮らせろと迫りながら、部屋の隅まで追い詰める。半泣きで拒絶する女性を「だからとりあえず脱げって、オイ!脱げや!」と押さえつけたところで仕掛け人が登場、「ドッキリで〜す!!」。声を失い泣き崩れる相方に「ガチ泣きしてるん!?これは怖すぎ?」と笑いながら声をかけた------という内容らしい。
らしいというのは、度が過ぎているとの批判を受けて、動画はすでに削除されているからだ。
(参照:「『脱げよ!』男性が家に侵入、恫喝ドッキリで女性泣き崩れる YouTuber過激企画に批判...動画削除」)
私はこの件を知ったとき、本当に驚いた。おとなが三人も関わっていて、よくそんな動画が世に出たな、と。
編集作業をしながら繰り返し動画を見ただろう。それなのに、「やっぱこれ、まずくない?」という声が誰からもあがらなかったことが信じられない。
仕掛け人と撮影に協力した男性にそれを期待するのは無理だとしても、相方の女性が動画の公開に同意したのが不思議でならない。
ネットニュースのコメント欄には、削除前に動画を見た人が「あれはトラウマになるレベル」「私ならこんなことをされたら友達をつづけられない」と書き込んでいた。だまされ、それほどの恐怖を味わわされたら、
「こんな動画、アップできるわけないでしょう!実際にこういう事件はいくらでも起きてる。面白おかしくネタにしていいわけがない」
「人が怯えて泣く姿を見せ物にしようだなんて悪趣味すぎる。やめてと泣く友達を見て笑う子どものいじめと同じじゃない!再生回数を稼ぐためならなんでもありだと思ってるの?」
と抗議するんじゃないのか、ヤラセでないなら。
二人はその後アップした謝罪動画の中で、
「『少しでもいい動画を作りたい、面白い動画を作りたい』という気持ちが先行してしまった」
と言っていた。これを視聴者に喜んでもらえる、笑ってもらえると思うのだから、世間の反応を予測できるはずもない。
撮影中に起こりうる危険についても想像していなかったんじゃないだろうか。見知らぬ男に家に押し入られ、部屋の隅まで追い詰められたとき、頭をよぎるのは「レイプされるか殺される……!」ということだ。そのとき、玄関にバットやゴルフクラブを備えている私の同僚のような女性だったら、そこらにあるもので相手を殴りつけたり切りつけたりするかもしれない。
そこであわてて仕掛け人が飛び出して、「テッテレ〜〜!」とやっても遅い。
また、動画を見て、
「怖っ!こういうリスク、たしかにあるよね。もうウーバー頼むのやめよう」
と思う人もいるかもしれない。実在の企業の名前を出したらどういうことが起こり得るかということは考えていたんだろうか。
何を笑うかによって、その人柄がわかる。
(マルセル・パニョル/フランスの劇作家)
|
吉野家役員の“生娘シャブ漬け”発言。笑いながら話し、聴衆からも笑いが起きていたそうだが、その発想も表現もただ気持ちが悪いだけだ。
かまいたちの山内さんの“エレベーター”のエピソードもちっとも笑えない。女性に相乗りを避けられてカチンときたのはわかるが、警戒されたと感じたのなら、なぜわざわざもう一回降りて行って自分を怖がっている相手をさらに怯えさせるようなことをするのか。
「ウィーンって(ドアが)開いた時に向こうどんな顔するのかな、と」
驚かせて反応を見てやろうなんて考えることが不気味だし、それをテレビでネタにする感覚も理解できない。
でも、批判され炎上し、自分の感覚が世間一般のそれからズレていることに気づかされたときが、人が変われるチャンス。
そうしたら、面白いと感じるものもこれまでとは違ってくるんじゃないだろうか。