私が勤務している病院は、複数の看護学校の臨地実習を受け入れている。
実習には基礎、成人、老年、小児、母性、精神などさまざまな種類があり、学生はトータル千時間超という厖大な時間を看護師の指導を受けながら現場で履修する。
そのため、私の病棟にもしょっちゅう学生がいるのであるが、昨日の夕方、三年間の総まとめとなる「統合実習」を終了したグループの一人があいさつに来てくれた。
「この病棟で実習をさせてもらえてよかったです」
という言葉をうれしく聞く。見るからに忙しそうな看護師に声をかけるのは勇気がいっただろうに、一日の始まりには今日の目標を、終わりにはその日の学びをしっかり伝えてくれた彼女。まじめで勉強熱心なこの子なら、いい看護師になるだろう。
「就職は決まってるの?」
「はい、こども病院に。私、子どもが大好きで、いつか小児の専門看護師の資格も取りたいと思ってるんです」
そうだったんだ。
安堵と達成感に満ちた顔でほかの学生たちと病棟を後にする彼女に、「その夢、きっと叶えてね」と心からのエールを送った。
私は小児科病棟で働きたくて、看護師になろうと思った。
しかし、いま私がいるのは患者の平均年齢七十四歳の病棟。配属の希望が通らなかったのではない。悩んだ末に小児科看護師になることを断念したからだ。
看護学校の二年次から小児看護学の講義が始まったら、私は自分に思わぬ弱点があることに気づいた。
教員の臨床での経験談や教材のビデオに登場する患児や家族に感情移入しすぎて、授業中にしばしば涙してしまうのだ。
患者の痛みや苦しみが“他人事”ではぬくもりのある看護はできない。だから看護師には共感力が求められるが、私の場合は度が過ぎている。テキストの事例問題を読みながら、ペーパーペイシェント(紙上の患者)の置かれた状況に胸が塞がるなんて。
そういえば、私はふだんから子どもの事故や虐待のニュースが自分の目や耳に触れないようにしているのだった。そういう見出しの新聞記事は読まず、テレビのチャンネルも変える。詳細を知ってしまうと怒りや悲しみをしばらく引きずり、しんどいからだ。
「こんな私が、死を避けられない子どもや虐待にあった子どもがいる場所で働けるんだろうか……」
元気になって退院できる子どもばかりではない。そのとき、遠い町で起こったニュースを直視できない私が目の前の現実を受けとめられるだろうか。病状が悪化していく子どもや死を嘆き悲しむ両親の姿に心が参ってしまうんじゃないか------。
「家族と離れて治療や療養をしている子どもを支えたい」と思い、この道に入った。しかし、その看取りを支える覚悟を持つことができなかった。
病棟で働くかぎり、患者の死からは逃れられない。
私がいるのはERの後方病棟。子どもの入院こそめったにないが、成人の死は身近だ。
この世の死には三種類ある。一人称(自分)の死、二人称(家族や愛する人)の死、三人称(他人)の死。
では、患者の死は三人称か……?
感情に呑まれて涙を流すことが「寄り添えている証」ではない、といまならわかる。私は誰かが人生の幕を下ろすのを見届ける者として、「もし自分の家族だったら、私はなにをするだろう」と問いつづけることで二人称と三人称の間にありたいと願うのである。