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2021年05月20日(木) 「肩書き」はなにを語る

鮮やかな黄色の缶に大きな英字のロゴ。同僚が飲んでいるそれを見て、思わず「懐かしい!」と言ったら、ほかの同僚からも同様の声が上がった。
「缶のカロリーメイトっていまも売ってたんだ」
「何十年かぶりで見たわ。デザイン変わらないね」
「カロリーメイトといえば、ほら誰だっけ、むかしCMに出てた女の子……」
「椎名桜子!」
「そうそう、『名前・椎名桜子。職業・作家。ただいま処女作執筆中』ってやつ」
「あのキャッチコピーはウケたなあ」
と座がにわかに盛り上がった。

二十代の同僚がきょとんとしているので、みなで解説する。
八十年代の終わり、ある出版社が本を一冊も出していないうちから「作家」という肩書きをつけて、若い女の子を大々的に売り出した。「処女作執筆中の女子大生作家」「二十二歳の大型新人」のインパクトは強烈で、処女作は話題になったが、彼女はその謳い文句のために叩かれることにもなった。
彼女はその後何冊か出版したものの、作家としては残らなかった。

この話をしながら、私は数年前にインターネット上で勃発したはあちゅうさんの肩書きをめぐっての騒動を思い出していた。
はあちゅうさんというのは、大学在学中にはじめたブログが注目を集め、カリスマブロガーとして世に出てきた女性である。現在はブログやオンラインサロンの運営、執筆や講演活動などをしているそうだが、肩書き論争というのは、彼女がまとめサイトで「読モライター」と紹介されたことに対し、「私はライターではない。ブロガー、作家と名乗っている」とツイートしたことに端を発する。
はあちゅうさんが「『作家は自分の意見を書く人。ライターは自分以外の誰かを取材して、その意見を書く人』と認識しているため、肩書きがライターになっていたらすべて修正してもらっている」と発言したところ、さまざまな分野のプロが「世間に認知される前に大それた肩書きを名乗ることには抵抗がある」と持論を展開。
一般の人からも「いやいや、あなたはライターでしょ」「作家を名乗るとは厚かましい」という声が相次いだのだ。

自分で名乗る肩書きを認められず、『お前はこうだ』って知らない誰かに定義されるのはすごく気持ち悪い。名前と同じくらい自由でいいんじゃないか、自己申告でいいじゃんと思う派です。 

とはあちゅうさんは言い、最終的には「志として名乗る人と、実績がついてから名乗る人と両方いて、それぞれに尊重する、でいいんじゃないか」と締めた。
その後、この騒動を振り返ってあらためて、自分にとって肩書きとは「私はこうやって生きていきたい」という希望や向かう先を記した看板だ、と語っている(日経ウーマンオンライン「人の『肩書』気になりますか?」参照)。

この「肩書きはその人の志」という発言を聞いたとき、私はとても驚いた。
私にとって肩書きは、「自分の属性やキャリアを端的に人に伝えるためのもの」という認識だったから。名刺に書かれたそれを見れば、目の前の人がどういう経験やスキル、実績を持っていて、ゆえにどんな成果を期待できそうか見当がつく------そういう役割を果たすと思ってきた。
たとえば、初めての病院にかかるとき、サイトで医師の役職や勤務年数を確認してどの曜日に受診するかを決めたり、大切な日のディナーに“本場の星付きレストランで長年修行”したシェフの店を選んだりするのは、その経歴が期待や安心感につながるからである。
肩書きは売り文句となり、仕事やお客を呼び寄せる。だから、それを名乗るからには責任が伴うと私は考えている。
肩書きがその人の現在のポジションではなく、夢や目指す方向を語っている場合があるとは思いも寄らなかったのだ。

しかし、なるほど、「私は○○だ」と宣言することで覚悟が決まって努力し、肩書きに近づいていく……ということはあるかもしれない。
願いを口に出したり紙に書いたりすることでモチベーションが高まり、実現に向けた行動につながる、という話は私も以前書いたことがある(2021年1月8日付 「本物のwish」)。
フリーランスの人は「私はこういう者です」とピーアールしないことにははじまらない。「経験が少ないし……」「稼げていないし……」ともじもじしていたらチャンスはやってこないから、とくに駆け出しの頃は背伸びも必要、というのは一理ある。
昨今、場所や時間に縛られない自由度の高い働き方に憧れ、フリーランスを目指す人が増えているそうだ。「成果と言えるほどのものはまだないけど、私はこれで食べていくんだ」という決意表明タイプの肩書きは今後増えてくるのかもしれない。

とはいえ、いまのところは「肩書きはその人の実態を表すもの」と捉えている人が多い。それは、他者の肩書きをめぐってしばしば議論が勃発することからもわかる。
つい最近も、元AKBの秋元才加さんが自身の肩書きについて「女優ではなく俳優と表記してほしい」とツイートしたら、「そもそも役者だったの?」「あなたは元AKB、よくてタレント」「本物の俳優に失礼」といった冷ややかな反応がずらり……ということがあった。
秋元さんはジェンダーフリーの観点から「女優という肩書きがしっくりこない」と発言したのだが、それ以前のところで物言いがついたのだ。
作家しかり、俳優しかり。世の中の認知や人気を得ることで成り立つ職業を名乗ろうとすると、「肩書きと釣り合っているか」を厳しくチェックされる。世間に顔や名前を知られている人は大変だなあとつくづく思う。

実績のなさは肩書きではカバーできないよ。実績がないから肩書きで少しでも下駄を履かせたいと思うのかもしれないけど、それじゃあ顰蹙をかうだけ。ちゃんと仕事して世間が納得するものを作ったり書いたりしてたら、そのうちにみんなから作家と呼ばれる。自分はそう呼ばれたくなくてもね。

はあちゅうさんの肩書き論争の中での作詞家・及川眠子さんの発言である。
自分が選択した肩書きと世間が認める肩書きが一致しないということは、悔しいけれど、たぶんそういうことなのだ。
でも中身が肩書きに追いついたら、もう誰もなにも言わない。

【あとがき】
作家にしろ俳優にしろ、「こうなったら、そう名乗るのを認める」という基準は人によってかなり違うでしょうね。「一冊でも本を出したら名乗ってもいいんじゃないの」という人もいれば、「文学賞を取って初めて名乗れる」というハードルの高い人もいるでしょう。
林真理子さんは「直木賞をもらうまで作家と名乗ったことはない」とエッセイに書いていました。『残酷な天使のテーゼ』が大ヒットした作詞家の及川眠子さんも、「ヒット曲を出すまで作詞家とは名乗れませんでした」と語っています。“実績がついてから名乗る”派ですね。
ちなみに、私も看護師になって最初の一年は誰にも言いませんでした。こんな未熟な自分ではおこがましくて名乗れないと思っていました。