2021年03月30日(火) |
うちの子になってね(前編) |
その猫が初めてわが家の庭にやって来たのは、一昨年の末のことだった。
外が薄暗くなり、雨戸を閉めようとリビングの掃き出し窓を開けたところ、ツバキの木の根元に黒っぽいかたまりが見えた。なんだろうと目を凝らしたら、黒と茶が入り混じった毛色の猫が一匹うずくまっていた。
この辺りにも野良猫がいたんだと驚く。長く住んでいるが、野良猫を見かけたことは一度もなかった。わが家に保護猫を迎えたのがつい一週間前のこと、その鳴き声や匂いにつられて寄ってきたのかもしれない。
「あらあら、どうしたん。どこから来たん」
声をかけても逃げるそぶりはなかったが、もっとよく見たくて玄関から出たら、隣家との境界の柵を乗り越えどこかに消えてしまった。
猫は次の日もやって来た。昨夕は数メートル離れたところからじっとこちらを見て、私が近づくと去ってしまったが、今日はリビングの掃き出し窓の沓脱石の上に座っていた。
窓越しにじっくり観察すると、耳にV字カットのあるさくら猫だった。これは避妊・去勢手術済みであるしるし。以前誰かが保護し、病院で手術を受けさせ、元の場所に戻してくれたのだ。右耳にカットが入っているからオス猫であることもわかった。
猫の種類は、黒と茶の毛がまだらに入った「サビ猫」だ。鉄が錆びたような色をしているためで、その外見から「雑巾猫」というあんまりな別名もある。そういえば保護猫の譲渡会で、主催者の方が「サビ猫はなかなか里親が見つからない」と言っていたっけ。たしかに、いま目の前にいる猫も見た目が美しいとは言いづらい。
しかしながら毛がツヤツヤしていて、目ヤニや鼻水もない。あくびをした隙に口の中をのぞくと、立派な白い歯が並んでいた。耳の中もきれいだ。蝶を見ると追いかける無邪気さもある。
「丈夫な体に生んでもらったんやねえ。よかったねえ」
この寒空の下、ワクチンを打たずとも元気に生きられているその生命力、たくましさに心を打たれた。
猫はそれから毎日のように訪ねてくるようになり、春になる頃には一日二回、ほぼ決まった時間に顔を見せた。
朝、雨戸を開けると待っていたかのように庭にいて、午後の部は夕方から雨戸が閉まるまで沓脱石の上でのんびり過ごす。家族みんなが「あら、いらっしゃい」「そこにいていいよ」という態度で接していたら、部屋の中の猫とガラス越しに遊んだり、庭の木の根元で昼寝をしたり、夜はバイクのカバーの中で眠ったりするようになった。
話しかけるとサイレントニャーで応えてくれる。見た目は「ザ・野良猫」でも、表情やしぐさがとてもかわいい。ふと庭に目をやるとそこにちょこんと座っているため、「ちょこん」と名づけた。
ある日、ちょこんがいつものようにガレージから庭に入ってくるのが見えた。ゴミ捨て場から拾ってきたのか誰かにもらったのか、大きなソーセージをくわえている。玄関ポーチでぽとっと落とすと、がつがつ食べはじめた。
野良猫にとってはごちそうだろう。危険のないところで食べようとうちまで運んできたのか。この子にとってここが安心できる場所であることをうれしく思う。しかし、こんなものを食べていたらどんなに体に悪いか。だけどこの子は「今日、何か食べものにありつけるか否か」というところで一日一日を生きているんだ……と胸がしめつけられた。
飼い猫の平均寿命は十五年といわれており、二十歳まで生きる猫もめずらしくない。それに対し、野良猫の寿命は数年だ。外の世界がいかに厳しいかわかる。だから、いつもの時間に姿を見せないと窓の外ばかり見てしまう。雨に濡れていないか、おなかを空かせていないか、車にはねられていないか、保健所に連れて行かれていないかと気になってしかたがない。
「そろそろ閉めるね、また明日ね。おやすみ」
と声をかけ、雨戸を下ろすときはいつも胸がちくっと痛んだ。よくガラス窓に前足をつき、背伸びをして部屋をのぞきこんでいるけれど、何を思っているのだろう。
明日もちゃんと来るんだよ、と心の中でつぶやく。いつしか、うちの猫と同じくらいちょこんがかわいくてたまらなくなっていた。
それでも、「ちょこんをうちの子に」とは考えなかった。
ちょこんがいま何歳で、野良猫歴がどのくらいなのかわからないけれど、うちに来るようになって半年経っても二メートル以内には近づけず、手を伸ばそうものならシャー!フー!と威嚇された。きっと人に飼われたことがないのだろう。その警戒心の強さを見ていると、家猫になれるとはとても思えなかった。
それになにより、ずっと外の世界で生きてきたこの子にとって「うちの子」になることは幸せなのだろうかと考えたとき、どうしても答えが出なかったのだ。
ちょこんのしっぽは太く短く、まるでじゃがいもがぶら下がっているような不格好な形である。どこかに挟まってちぎれたか、ケンカで噛まれた傷から菌が入り壊死して取れてしまったかしたのだろう。しかしそんな過酷な環境下でも、この子は懸命に生きてきた。暑さ寒さ、飢え、病気やケガ、交通事故。命を脅かす危険と隣り合わせでも、ずっと外で暮らしてきた猫にとっての幸せは、長生きできることではなく「自由」なのではないか。だとしたら、これからもこの子がこの子なりに生きていくのを見守るのが私のつとめなんじゃないか……。そんな気がした。
しかし、ちょこんと出会って七か月後の真夏のある日。あるできごとをきっかけに、ちょこんを家に迎える決意をする。
(中編につづく)
【あとがき】 猫と暮らすための家を建てた知人がいます。猫たちが安全・快適に暮らせるよういろいろ工夫したんだとか。ドアにはもちろんキャットスルー(猫用の開閉式ドア)、リビングの壁にはキャットウォーク、爪とぎ用の柱も用意。通常のフローリングだと足が滑って股関節に負担がかかるため、彼らが歩きやすい床材を選び、鳴き声でご近所に迷惑をかけないよう窓は二重に。 「私はこのためにがんばって働いてきたんだもん」と知人。猫と暮らす家を建てることが長年の夢だったそうです。猫好きとは聞いていたけど、すごい! |