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2019年06月10日(月) 誇りと、重荷と

女性が多い私の職場では、最近昼の休憩室はある事件の話題でもちきりだ。連日の報道で衝撃的な内容が次々と明らかになることに加え、同僚の一人が容疑者とされている男性の近所に住んでおり、彼女からさまざまな生の情報がもたらされるからである。
「まさか〇〇さんが、信じられないってみんな言ってる。でも、後出しジャンケンみたいだけどこういう事件が起きてみると、今思えば……ってことがいくつかあってね」
などとその人物の人となりや見たこと聞いたことを講釈してくれるのだ。
が、私はその内容もさることながら、話の中でサラッと明かされた容疑者の名前が引っかかった。聞き慣れない苗字だったからだ。どんな字を書くのか尋ねたら、その漢字自体、私は知らなかった。いまのところ報道では実名は伏せられているが、公表されたとして正しく読める人はどのくらいいるだろう。

ところで、犯罪や不祥事を起こしてメディアで報道されている人の苗字が珍しいと、私はいつも思うことがある。
「この人は結婚しているんだろうか。子どもはいるんだろうか。親は生きているんだろうか」
そういうことが気になるのは、私自身が「珍しいお名前ですね」としばしば言われる、人の印象に残りやすい苗字で、小学生の頃、母親から「あんたが悪いことをしたら、お父さんがクビになるんだよ」と言われた覚えがあるからだ。
もし自分が過ちを犯して新聞に載るようなことがあったら、家族も巻き添えにしてしまう……。そういう思いがつねに心のどこかにあった気がする。だから、結婚してありふれた苗字に変わったとき、「目立たない」ことに安堵のようなものを覚えた。
という話をある場でしたところ、「わかるなあ。名前については僕も思うところがある」と言った男性がいた。
彼と知り合ったのはずいぶん前であるが、初めて名前を聞いたとき、「もしかして」と思った。案の定、彼は日本人なら知らぬ人はいない歴史上の人物の子孫であった。
スケーターの織田信成さんが織田信長の末裔であることはその名を見ればぴんとくるが、彼もまた先祖代々同じ字を受け継ぐ「通字」によって有名な戦国武将の子孫であることを知られてしまう。それが苦痛だった時期があったため、息子が生まれたとき、通字をやめようかと真剣に悩んだそうだ。
「名前は誇りでもあり、重荷でもありましたね。家名を汚すようなことは絶対にしてくれるなって親に言い聞かされて育ちましたから」
大河ドラマでの描かれ方に納得がいかないことがある、なんて話は偉人の末裔ならではのエピソードであるが、そういうレアな体験と引き換えに、自分の言動で偉大な先祖の顔に泥を塗ってはならないという重圧があったのだ。

自分がなにかしでかしたとき、何百年も前の先祖に迷惑をかける心配までしなくてはならない人は限られているだろう。しかしふつうの人だって、半径三メートル以内にいる人たちに大変な苦しみを与えることになる。
同僚の話だと、先の容疑者には妻子がいるという。あの苗字では家族であることは隠しようがない。容疑者の年齢からして子どもは幼いはず、幼稚園や学校でいじめられていないだろうか。親が健在であるなら表に出られないんじゃなかろうか。
報道を目にするたび、家族の生活が気になってしかたがない。

【あとがき】
こういう歴史上の人物の子孫である男性と結婚したら、「血筋を絶やすわけにいかない」というプレッシャーで、妻になった人は大変なんじゃないだろうかと想像してしまいます。織田信成さんが結婚したときも、真っ先に浮かんだのはそのことでした(その後3人の男の子が生まれたようです)。