先日実家に帰ったときのこと。近所に住む妹が顔を出し、お茶を飲みながら「自宅前の公園でラジオ体操をしてた!」とびっくり顔で言う。
だって夏休みだもん、そりゃあラジオ体操くらいするわよ。と答えたら、「ラジオ体操をしていること」ではなく、「夏休みが始まって一週間もたってやっとラジオ体操をしているのに気づいたこと」に驚いたのだという。
彼女はふだん七時起きであるが、今朝は三十分ほど早く目が覚めた。ベランダの窓を開けると、目の前の公園に数人の大人と子どもたちが集まり、黙々と手足を動かしている。ひと目でラジオ体操だとわからなかったのは、「音楽」がなかったから。
「えっ、音なしでラジオ体操やってるの!?」
としばらく眺めていたら、風に乗ってかすかにラジオの音が聞こえてきた。二階のベランダで耳を澄ましていてもほとんど聞こえないくらい、音量を絞っていたのである。
「へええ!それってやっぱ近隣の住人に配慮してのこと?」
「たぶんね。注意されてるんやろなあ、終わった後も誰もおしゃべりするわけでなくサーッと帰っちゃって。あんな静かじゃそら気ぃつかんはずやわ」
すると、母が「なるほどねえ」と頷いた。犬の散歩に行くと道路の向こう側にある公園でもラジオ体操をしている。が、いつも無音なので不思議に思っていたという。ボリュームが小さすぎて聞こえないだけだったのだ。
夏休みといえば、私はラジオ体操を思い出す。小学生の頃、毎朝妹と近くの公園に通ったものだ。
「あーたーらしい朝が来た、希望のあーさーだ」
が流れ始めるとぽやーっとしていた目も覚め、気分が晴れ晴れとした。そうそう、第二体操の中のゴリラのポーズは少し恥ずかしかったっけ。
体操が終わると首から下げたカードにハンコを押してもらう。皆勤だと最終日にノートと鉛筆をもらえるので、さぼろうと思ったことなんてなかったような気がする。近所の友だちもみんな来ていたし、中にはある日突然真っ黒に日焼けして現れる子がいたりして、楽しみでさえあった。
けれどもし、控えめな音量のラジオ、静かにしろ、早く帰れと口うるさく言われるようなラジオ体操だったら……。あんなふうにせっせと通っただろうか。
そういえばうちの隣の家には小学生がふたりいるが、ラジオ体操には行っていないようだ。どうしてわかるかというと、毎朝七時半きっかりにアニメソングの目覚まし時計がけたたましく鳴り響くから。
私たちの頃はべつに強制されたわけではないが、子どもがラジオ体操に行くのは当たり前だった。けれど最近は「行きたい子だけ行くもの」になっているのだろうか。
という話を小学生の子どもがいる同僚にしたところ、最近のラジオ体操は夏休み中毎日ではなく、一週間とか十日間の短期間限定のものになっているという。
「やってほしいっていう声自体があんまりないんとちゃうかな。うちの子も起きれんで結局一回も行かんかったけど、私もうるさく言わんかったし。ラジオ体操って親もけっこう面倒なんよね、車出さなならんし」
え、車を出すって?
「そのへんの広場でやるとラジオがうるさいって苦情が来るから、大きな公園でしかできんのよ。家からちょっと遠いから、そこまで車で連れて行かなならんねん」
子どもの夏休みの風景はやはり私の時代とはだいぶ変わっているらしい。
「多少音が聞こえたってこっちはぜんぜんかまわんのやけどねえ」
と気の毒そうに妹が言う。そうだよなあ、私も家の前からラジオ体操の音楽が聞こえてきても「ああ、夏だねえ」としか思わないんじゃないかなあ。だって一ヶ月ちょっとのあいだの話、しかも一回十分やそこいらのことだもの。
が、いろいろな事情で一分一秒長く寝ていたい人にとっては我慢できないのだろう。風鈴の音も強制的に聞かされれば騒音にしか思えないものなのかもしれない。
……とは察すれど、子どもたちが小さくなってラジオ体操をしているのを想像するとなんだか不憫だ。せっかく早起きして集まってきたのだ、のびのびとさせてやりたいなあとやはり思う。
昔は世の中が全体的にもうちょっとおおらかだったよなあ。迷惑をかけること、かけられることにみながここまでピリピリしてはいなかったような気がする。
もっとも、塾通いやゲームで私たちの頃よりずっと遅くまで起きているであろういまの子がラジオ体操の存続を望んでいるかどうかは疑問だけれど。
【あとがき】 ラジオ体操の音楽は私はなんとも思わないような気がするのですが、いつもかなりムッとするのは毎朝4時頃新聞屋が爆音を立ててバイクに乗ってやってきて、廊下をドスドス走り回って配達すること。必ず目が覚めます。どこの新聞屋かわかったら苦情を入れてやろうと思っているんだけど。 |