2007年05月25日(金) |
街で見知らぬ男性と口論になる |
家の外では非常識なことをしている人にしばしば出会うが、よほどのことがなければ、つまり不快感以外の不利益を被らないかぎりは我慢する。彼、彼女に声をかけてまでやめてもらおうとは思わない。
相手が他人の迷惑を顧みることのない人であるだけに逆恨みをされないともかぎらないからだ。何年か前に電車内で携帯電話を使っている女性に注意をした男性が腹いせに痴漢に仕立て上げられるという事件があった。さしあたって私にその心配はないにしても、ポケットからナイフを出されて人生を終わりにされるのはかなわない。だから、「一生そうして他人から白い目で見られながら生きていきなさい」と思うだけにしている。
けれども、先日はそんなことを考える間もなく「ちょっと!!」と叫んでいた。
自宅近くの大きな公園の前を通りかかったときだ。「さっさと来んかい、ボケがあっ!」という怒号が聞こえてきた。
私が歩いている場所からは背の高い茂みのせいで中年男性の姿しか見えなかったが、子どもに向かっての言葉にしては乱暴過ぎる。気になって早足で近づいて行くと、彼から何メートルか離れたところに黒のラブラドールが座り込んでいるのが見えた。
男性は散歩紐を鞭のように振り回し、犬に罵声を浴びせている。ただならぬ雰囲気に歩をゆるめて見ていたら、私の目の前で彼は思いきり犬の頭を蹴り上げた。
犬は悲鳴をあげて後ろに吹っ飛び、男性は起き上がろうとする犬の顔面を蹴ったり踏んだり。私はもうびっくりして、反射的に大声をあげた。
「なに見とんねん」
と振り返ったのはポロシャツにチノパンを着た、どこにでもいそうな四十代の男性である。
「なにしてるんですか!?その犬がなにしたんですかっ」
「こいつが言うこときかんからやろが」
通行人を噛んだとかなにか大変な悪さをして叱っているのではないとわかった。
「そんなことで殴る蹴るせんでええでしょう!!」
「ほっとけや、おまえに関係あるんかい、エッ!」
犬は蹴り飛ばされても唸り声ひとつあげない。首をうなだれ尻尾を垂れ下げ、目にはまるで光がない。この男がこの犬をこんなふうにしたのだ、と思ったら猛烈に怒りが込み上げてきた。
「そんなんしてたら死んでしまいますよっ」
「黙っとらんかい」
ひとしきり言い合いをした後、遠巻きに見ている人がいるのに気づいた男性は首輪に紐をつなぐと引きずるように犬を連れて行ってしまった。
一部始終を見ていたらしい女性が声をかけてきた。ひと目で可愛がられているとわかる、つやつやした毛並みのミニチュアダックスを連れている。
「ひどいねえ。あんな人に犬を飼う資格はないですよ」
「ほんとに……」
そういえば男性は手ぶらだった。糞の始末もしないなんてどうしようもないじゃないか。どんな人間に飼われるかによって彼らの一生が決まるのに、どうしてあんな飼い主がいるんだろう。
そしてふと思った。それは人の子どもも同じだな。彼らも親を選べない。たまたま愚かな人間のもとに生まれ落ちたというそれだけで、バイクのメットインに入れられたりゴミの日に出されたりしてしまうのだ。犬を連れた男性が一見ふつうの人だったように、子どもを死に至らしめる親もおそらく傍目にはそんなことをしそうには見えない人間なのだろう。
私が男性のイライラを増大させたがために、あの犬は家に帰ってさらなる暴力を振るわれたんじゃないだろうか……。だとしたら本当にかわいそうなことをしてしまった。
その日一日、胸が痛んだ。
【あとがき】 キレるとなにをするかわからない人っていますよね。なので、たとえば私が車の助手席に乗っているときにドライバーが乱暴な運転をする車にクラクションを鳴らしたりするとハラハラしてしまいます。理屈の通らない相手だった時、「降りてこんかいゴルァ」ってことになるとしゃれにならないでしょう。たとえこちらが間違っていなくても、相手がどんな人間かわからないので気をつけないと自分の身に危険が降りかかることがある。と思ったりするわけです。 |