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2007年04月20日(金) 車の運転が苦手な理由

わが家の車を買い替えることになった。ゴルフやスキーに行くのに便利な車が欲しいと夫が言いだしたのだ。
いまの車の車検がまだまだ残っているのにもったいないなあ……が頭をよぎったものの、一生懸命働いてくれているし、そのくらいの楽しみがあってもいいかと思い、「じゃあ好きなの買ったら?」と言った。
そうしたら、彼が選んだのはいま乗っているのよりずいぶん大きな車。横幅は十五センチ、全長は一メートル長くなると聞いて、私は慌てた。
「私、そんなの運転できないよお!」

自慢じゃないが、私は車の運転が苦手だ。十年間ペーパードライバーをした後、三年前から運転するようになったのだが、つくづく自分には向いていないと感じている。
ふつうに走行する分にはそう問題はないのだが、どうしようもなく下手なのが車庫入れ。スーパーに買い物に行ったら、私は空いている屋上まで上がりたい。が、夫が億劫がるのでしかたなく二階、三階の混んだ駐車場に進入する。やっと空きを見つけ、「よし、入れるぞ」とハンドルに力を込めたら、夫が助手席からぼそっと言う。
「隣の車、高いよ。七百万くらいかな」
……ひどい。そうでなくても、「後ろがつかえている」というプレッシャーで私の心臓はつぶれそうになっているというのに。
それから縦列駐車もだめである。それに必要なスペースは車の長さの一・五倍というけれど、私はそれっぽっちじゃまず入れられない。そんなだから駅まで夫を迎えに行き、待っているあいだに後からやってきた車に自分の車を挟むように停められるともものすごくイヤ。
「ちょっとォ、もっと空けてくんなきゃ出られないじゃないのよー!」

こういう話をすると、たいていの人は「そんなのは慣れだよ。練習すればできるようになるさ」と言う。しかし、三年運転していてこのレベルというのはひどすぎるのではないだろうか……。
世の中の大半の人がなんなくこなすことが私だけできないなんてわけがない。そうは思うのだが、現実問題、いつまでたってもうまくならない。
私は決して不器用ではないのだが、車の運転に関しては「人並みのことができない」と認めざるを得ない。

* * * * *

どうして自分はこうなのか。
誰もまともに取り合ってくれないが、私自身は原因はこれしかないと思っている。空間能力が著しく欠如していることだ。
『話を聞かない男、地図が読めない女』によると、空間能力とは「三次元的にものを見る力」。対象物の形や大きさ、動き、配置などを思い浮かべ、それを回転させたり立体的に見たり。また対象物と自分との距離、位置関係を把握する能力のことである。
その空間能力をつかさどる脳の領域は、女よりも男のほうが圧倒的に発達しているという。太古の昔から男は獲物を追いながら距離を目算したり、どんなに遠くにいても家のある方角を察知し、帰り着く必要があった。その“狩人”だった頃の名残だそうだ。
そう、私が車庫入れや縦列駐車が苦手なのは、そのスペースにうまくおさめるためのバックの開始位置やその角度をイメージできないから。車線変更するときいつもおっかなびっくりなのも、ミラーに写る車のスピードを推測してこの距離なら入れる、入れないという判断を下すのがむずかしいからなのだ。

ところで、私は方角がまったくわからない人間だが、方向音痴も空間能力に問題があるためだと先述の本にある。
空間能力の優れた人は頭の中で地図を回転させ、しかもその情報を蓄積することができるので戻ってくるときはもう見なくても済むらしい。しかし、私は車が右折すると地図も右に九十度回し、南に向かえば上下をひっくり返すというふうに自分の進行方向と地図の方角を合わせなければ読むことができないし、道もちっとも覚えられない。
ショッピングセンターの巨大駐車場で自分の車まで戻れない、カラオケの最中にトイレに立ったら迷子になる、食事をして店を出ると自分が右から来たのか左から来たのかわからない。この方向感覚のなさは異常なのではないかと真剣に思う。
私がよく利用する駅には改札が南と北に二箇所ある。南口を通って帰宅するときホーム右側の電車に乗らなくてはならないとしたら、北口を通ったときは当然左側の電車に乗ることになる。しかし、私にはそれがわからない。電車が動きだしてしばらく窓の外を眺めてからようやく乗り間違えたことに気づいた……ということが何度もある。
友人が言うには、私が会話の中で「角のコンビニのね」「そこの○○って店あるじゃない?」と言いながら指差す方向にその建物があったことは一度もないそうだ。毎回毎回私の指はあらぬ方を向いているらしいが、私としてはばっちり指し示しているつもりなのである。
道に迷ったとき、まったく初めての場所なのに「えーと、あっちが北だから……」とどこかに書いてあるかのように言う人がいるけれど、いつもマジックを見せられたような気分になる。どうしてそっちが北だとわかるんだ!?


いま乗っている車は軽ではないが、「とにかく小さいのにして!」という私のリクエストに適ったものだ。それでも最近壁にこすって夫にえらく叱られた。
「だから今度の車にはコーナーポールつけてよ」
「やだよ、かっこわるい。そんなもんは慣れなんだから、練習練習」
そりゃあふつうの人はしばらく乗れば感覚を掴み、どこででも応用をきかせることができるのだろうが、私はふつうじゃないのだよ……。これは言い訳なんかじゃない、事実なのだ。
自宅の駐車場といったように環境が一定しているところであれば繰り返しの練習でできるようになるが、実際に車で走るときは常に新しい状況下に置かれる。だから何年運転していても、車庫入れや縦列駐車のたびに深呼吸をしなくてはならないのである。

と泣き言を言っていても、いまの車がなくなったらその大きい車をなんとか操縦しなくてはならない。しばらくは初心者マークをつけて乗ることにする。