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2007年04月03日(火) 漫画コンプレックス

エレベーターに乗り込み、私が「4」を押した瞬間、乗っていた見知らぬ男性が露骨に首を動かして横の壁を見た。案内表示で四階になにがあるのかを確かめたのだ。
「他人がどこに用があるのか、そんなに気になるか」
とイヤーな気分になったのは、行き先が「漫画喫茶」だったから、かもしれない。もし美容院やレストランだったなら、なんとも思わなかったような気もする。

「漫画を読む」という行為に私が妙に引け目を感じてしまうのは、子どもの頃に大人からさんざん「漫画なんか……」を吹き込まれたからだと思う。
小学校の担任は「漫画を読むとバカになる」とよく言っていたし、親も私や妹が友だちから借りてきたものを読んでいるといい顔をしなかった。昨年はらたいらさんが亡くなったとき、クイズダービーでのあの驚異の正解率が「漫画家の地位が低かったため、自分ががんばれば世間の評価が変わると思い、必死で勉強した」結果であると知ったが、たしかに二十年前は「漫画=くだらないもの」というのが人々の認識だった。
そのため、小学生の私が心おきなく読めるのは児童館くらいのものだった。そして抜けている巻があると本屋に行った。当時はビニールなどかけられていなかったので立ち読みができたのである。その代わり、十分も滞在していると店のオジサンがハタキをかけにやってきたが、どんなに頭をパタパタされようとくじけず読んだ。月の小遣いは五百円。単行本一冊が三百五十円だったから、そうそう買えなかったのだ。
しかしそうして大人の目を避けながら読んでいるうちに、いつしか私の中にも「漫画を読むのは恥ずかしいこと、褒められたことではないのだ」という意識が植えつけられた。
電車の中で漫画雑誌を読んでいるサラリーマンを見かけると、「なんてみっともない、これが自分の夫だったら泣くな」と辛辣なことを思うのも、むかし刷り込まれた「漫画なんか……」が効いているのだろう。

……が、では自分はもうすっかり卒業したのかというとそんなことはないのである。社会人になってから長らくご無沙汰だったが、ここ数年でまたちょこちょこと読むようになった。
きれいな漫画喫茶が増えたからだ。それまでは「漫画オタクが集まる特殊な場所」というイメージだったが、女一人でも入れるおしゃれな「ネットカフェ」に変わった。なので、出先で時間潰しをしたいときに立ち寄ることがある。
先日ミナミを歩いていたら、ビルの前で黒服のお兄さんが「本日オープン!」と呼び込みをしているのを見かけた。なんの店かと思ったら漫画喫茶で、今日は一時間百円だと言うので入ってみたところ、水族館のようにほの暗く幻想的な雰囲気、フロアはとてもゆったりしたつくりで落ちつける。ジュースは自販機ではなくお金をかけているなあという感じだし、ソフトクリームやポップコーンも無料。
私の周囲には漫画喫茶未経験者がわりといて、「私も行ってみたい。今度連れて行って」と言われることがある。「黙〜って漫画を読む場所に二人で行ってどうするの」と返すと、だって一人で行く勇気はないんだもんと言う。でもこういう店だったら彼女も平気だろう。


いまになって思うのは、あの頃どうして大人はあんなに漫画を悪く言ったのかなあということだ。
いや、理由はわかっている。絵で理解するため考えることをしなくなる、想像力がなくなるとよく言われたっけ。漫画を読むのに根気はいらないからそれに慣れてしまい、活字を読むのを苦にする子どもが出るのを危惧したというのもあるだろう。これについては、たしかに私も自分の子どもが漫画を読みふける姿を見たら気にするだろうなと思う。
けれども私は大人になって、「活字は尊く、漫画は劣っている」なんてことはないのだということを知った。
「漫画なんか読まずに本を読め」としょっちゅう言われたが、小説でもくだらないものはくだらなく、漫画にも名作と呼ぶべきものはたくさんある。私の世代にはサッカーや野球を始めたきっかけが『キャプテン翼』や『タッチ』だったという男の子がいっぱいいた。『ブラック・ジャック』に憧れて医者になったという話も聞いたことがある。そういう面は一切見ず、躍起になって子どもから漫画を遠ざけようとしたのが不思議な気さえする。

年末に入院していた病院の休憩室には少女漫画がひとつもなく、私はしかたなしに『ゴルゴ13』を部屋に持ち込んだ。絵柄的にはまったく好みでなかったが、活字を読むのは億劫だったのだ。
が、初めて読んでみて驚いた。ゴルゴ13は世界を舞台に暗躍するスナイパーだから、執筆当時の国際情勢が反映されているのだが、三十年以上前に描かれたものなのにいま読んでも稚拙に感じないくらいストーリーがよくできているのだ。誰でも気軽に海外に行ける時代ではなかったはずなのに、これはすごいと思った。
しかしこの漫画を子どもが読んでも、面白みは理解できないにちがいない。
漫画喫茶がこれだけ繁盛しているからといって、いい年をして子どもの漫画を読み続ける幼稚な大人が多いと決めつけるのは早計だ。それだけ大人の鑑賞に耐えうる質の高い作品が出てきていると見ることもできるのではないだろうか。
……と言ったら、漫画を読まない人には正当化しすぎだと笑われてしまうかしら。