モニタに向かって思わずふきだしてしまった。この寒空の下、渋谷の円山町に四時間張りついてカップルの「ラブホテルの入り方」を調査してきたという男性の記事である。
来年二十五になるという筆者はいまだ童貞。「もっともしっくりくる入り方を私も初体験のときはキメてみたいものだ」ということで六十四組のカップルを観察した結果を発表しているのであるが、童貞ならでは(?)のコメントが可笑しくて可愛い(こちら)。
独身時代、私はずっとひとり暮らしだったので、「入り方」に一家言を持つほどラブホテルを利用する機会はなかったのだが、ひとつ覚えているのは初めて車でホテルに入ったときのこと。
ふと隣の車を見ると、車体の正面に板を立てかけている。駐車場にはほかにも何台かそんなふうにしている車が停まっていた。なんのつもりかしらと思ったら、ナンバープレートを隠しているのだという。
ナンバーから氏名や住所が割り出せるので、万が一にもそういうことになるとまずい人はなるべく他人の目に触れぬようそうしておくのだということだった。あらためて、これがラブホテルというところなのだなあと思ったんだっけ。
さて、記事を読むと筆者の「二十五までに脱・童貞」にかける意気込みが伝わってくる。
私としては「二十四や五なら未経験でも平気よお。これからいくらでもチャンスはあるわよ!」と肩でも叩いてあげたい気分だが、人より出遅れていることに引け目を感じてしまうのも十分理解することができる。
学生時代に付き合っていた彼が私の部屋に置いていた『Bバージン』という漫画の主人公は、“ヤラハタ”(ヤラずのハタチ)であることを必死に隠していた。二十歳にもなって女性経験がないのは恥、という通念があるため、周囲にその事実を知られるわけにはいかないのである。
この「童貞=甲斐性なし」は漫画の中だけの話ではない。三十を過ぎても女性経験がないことを気に病んで円形脱毛症になってしまった男性を私は知っている。一緒にいた友人が「頭にハゲつくってる暇があったら、風俗でもなんでも行って童貞を捨てればよかったじゃないの」と彼に言ったら、二十代も後半になると風俗の女性にさえ童貞であると知られるのは耐えがたい恥辱で、行こうにも行けなかったということだった。
「ソープ嬢相手に見栄張ってどうすんの!」とすかさずつっこみが入ったが、私は彼の気持ちがわかるような気がした。
十代のうちなら童貞でも驚かれることはないし、うまくできなかったからといって笑われることもない。けれども、三十を過ぎた男が「未経験です」と告白するのはたとえその日限りの相手でも勇気のいることだろうし、なにをどうしてこうして……と一から教わるのはプライドをかなぐり捨てねばできることではない。
男性にはセックスの際にいいところを見せたい、女性をリードしたいという気持ちがある。童貞の人だってそうだろう。
しかし、この頃は十代の女の子が読む雑誌にもセックス指南のページが当たり前にあり、「私、女だからなにも知りません、奥手なのでなにもできません」の時代ではない。
先日、私は『an・an』を立ち読みしていてぎょっとした。セックス特集号でもないのに、「男が離れられないカラダをつくろう!」というページに“プロ直伝のテクニック”がずらり紹介されている。
「彼がシャワーを浴びているあいだに高速腹筋を二十回しなさい」(そうすると男性にとって具合がよくなるらしい)
「口と手をこれこれこんなふうに使って四点攻めをマスターすべし」
などと子細に書いてある。
いまや「セックスが魅力的」というのもイイ女の条件のひとつなのである。
こうして女の子たちは十代のうちから研鑽を積んで技能を身につけていくわけだから、チェリーな男性との差は開くばかり。彼らが焦るのも無理はない。
その点、女性は何歳で未経験であっても童貞男性ほどはプレッシャーを感じずに済みそうだ。どちらかといえば受け身であるし、童貞と違って処女の場合は「純潔」「守ってきた」と解釈してもらえる可能性もある。
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「男になる」という言い方があるけれど、男性にとって初めての経験というのはまさにそんなふうに感じられることなのではないだろうか。
初めて彼女ができたときはうれしくてそればかりしていた、と男の友人から聞いたことがある。この「うれしい」には性欲を満たすことができてという意味だけでなく、「俺も一人前の男になれたんだ」という晴れがましさも大いに含まれていたのではないかしら……。
私は童貞の男性とは経験がない。自分好みに育てる、なんて趣味はないけれど、彼がめきめきと自信をつけ「男」になっていく過程を見てみたかったナ、という気はちょっとする。