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2007年02月09日(金) 譲れぬ条件(後編)

※ 前編はこちら

四十の誕生日を前に結婚相談所に入会し、現在活動歴三年目の友人がいる。
今日に至るまでには相手に求める条件を何度も見直してきた。「この年で高望みしちゃいけないよね……」と早い時期に年齢、身長、出身大学を“不問”にしたが成果は上がらず、二年目に入ったときに「初婚」「関西圏在住」も取り下げた。
が、そんな彼女にもこの先もこれだけは外さないと決めている条件がふたつある。連れ子のいる人、もうひとつが親との同居を求める人だ。
彼女の周囲には同居がうまくいかず幸福な結婚生活を送っていなかったり離婚したりした人が何人もいて、「余計な苦労をするだけだからやめておけ」とさんざん忠告されてきた。娘の結婚を誰よりも望み、結婚相談所の入会金を出してくれた母親でさえ「それだったらしないほうがまし」と言い切るそうだ。
しないほうがましかどうかはわからないが、それによる苦労が本来する必要のないものであることはたしか、と私も思う。
恋愛から結婚に発展する場合は一緒になりたい一心で無理を呑んでしまうこともあるが、「この部分は譲れない」というものを最後まで譲らずにすむのが、お見合いや結婚相談所で“まだ見ぬ人”から相手を探す強みなのだ。いろいろなことを譲歩しなくては結ばれない人をわざわざこれから好きになることはない。

同僚がひと回り年上の男性と結婚したとき、すでに義父は他界しており、義母は八十だった。しかし夫は彼女を気遣って、母親はまだ身の回りのことは自分でできるからいますぐ実家に住む必要はないと言った。が、彼女自身が同居を決めた。
「いずれ面倒を見なくちゃならなくなる。それなら最初から一緒に住んだほうが自分も楽だろうと思って」
これを聞いたとき、私はただただ感心した。いまどきこんな殊勝な嫁がいるだろうか。
しかしまあ、たしかにその同居には楽観的になれる要素がいくつかあった。家は改築して一階は義母、二階は夫婦と居住スペースが分かれているというし、高齢の義母が一人だから家のことは彼女が主導権を握ってやれるであろう。舅姑健在で完全同居のパターンに比べたらずっと楽、と私も思った。
しかし蓋を開けてみたら、同居生活は二年持たなかった。精神的に疲労困憊した彼女がマンションを借りて赤ちゃんと二人で別に住むと言いだし、親戚を巻き込んだ協議の末、義母が老人ホームに入ることになったのだ。
私は彼女の性格をよく知っているから、彼女の忍耐が足りなかったのだとは考えない。といって、その義母に問題があったとも思わない。底意地の悪い嫁、特別口うるさい姑に当たらなくてもこういうことは起こるのである。

* * * * *

「夫の実家とはスープが冷めて冷めて凍りつくくらいの距離に住んでちょうどいい」
と言ったのは上沼恵美子さんであるが、同居嫁のストレス、気苦労はそれはもう大変なものだろうと想像する。かくいう私も長男の嫁、行く末に同居が待っている身の上である。
昨夏、夫に東京転勤の話が持ち上がった。夫は地元に戻れると大喜び。一方、私は落ち込んだ。母は現在病気療養中。実家から離れるのは心配だし、関東には友人もいない。しかし転勤ならばしかたがない……。
結果的にはすんでのところでこの話は流れたのであるが、夫がこの機会に同居をはじめる気でいたことがわかり、私は暗澹たる気分になった。
長男と結婚した者として、将来的にはそうなるという覚悟はしている。しかしいまの時点では義父母は元気そのもの、年がら年中ゴルフだスキーだと国内外を飛び回っているのである。慌てて同居する理由がどこにあるのか。
しかも、夫は月曜の朝家を出たら金曜の夜まで帰らない出張族。平日は私に三人暮らしをしろと言うの。
「だって高いお金払ってマンションを借りるなんてばかばかしいじゃないか」
そんなことで……?あなたはまるでわかっていない、夫の実家が妻にとってどれほど酸素の薄い場所であるかが。

日常生活のさまざまな場面で感じる夫と私のメンタリティーの違いは、性格というより生まれ育った環境の差に由来しているのだと思う。ふたつの実家は正反対と言えるくらい違っている。
夫は祖父母、両親、弟と妹、子どもの頃は叔父二人も一緒に住んでいたという大家族育ちである。加えて、親戚や父親の友人といった来客も多い。初めて彼の実家を訪ねたとき、台所に小学校の給食で見たような巨大な炊飯釜があって唖然としてしまった。
一方、私は典型的な核家族で育った。祖父母や親戚との付き合いもあっさりしていて、顔を合わせるのは法事くらいのもの。従兄弟たちともまったく交流はない。人の出入りの少ない静かな家である。
「父親」の違いも大きい。公務員の私の父は料理こそできないが、休日には掃除でも買い物でも率先してする人。威厳というものはないけれど、家事と育児の参加度は文句なしのマイホームパパだ。男は父一人なので、わが実家は女中心である。
対して、会社の経営者である義父は家では“家長”だ。家の中のことは女房の仕事という考えで、家事はもちろん子どもをお風呂に入れたこともない。夫が「男子、厨房に入らず」なんて時代遅れも甚だしいことを言うのは、縦のものを横にもしない父を見て育ったからだ。
そして言うまでもなく男上位の家。あるとき夫が小遣いが少ないというようなことをぼやき、「そんなことはない、あなたの年で同じ額を小遣いにしている人を私は知らない」と言い返したら、「女はそういうことを言うもんじゃない」と義父にたしなめられたことがある。

生まれ育ったところとの環境の差が大きければ大きいほど適応は困難になる。
私は義父も義母も好きである。近所に住んでいて、帰省すると必ず遊びに来ている義弟一家も楽しい人たちだ。しかし、私は淡水魚が海水に投げ込まれたような息苦しさで、結婚七年目でも三日も滞在しているとアップアップとなる。
夫と私、どちらの育った家庭がいい、悪いではない。真水に棲んでいた私にとってはそこはものすごく塩分のきつい水である、ということなのだ。


「妻がなんの気兼ねもストレスもなく暮らせること」と引き換えに、あなたが手に入れようとしているものはなんなのか。
同居の目的が「老後の面倒を見る」であるなら、義父母のどちらかが亡くなり一人で住まわせるのは心配だとか介護の手が必要だとかいう事態になるまでは“近居”でもお釣りがくるほど十分ではないのか。
子どもの教育によい、と言うかもしれない。たしかに夫や義妹には「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしていたからだろうな」と思われる、私にはない美点がある。
しかし、私は義母の涙を思い起こさずにいられない。姑が亡くなるまで、帰省したり電話で話したりするたび義母は私に愚痴をこぼした。周囲の人は義母のことを「本当に苦労した人だよ。よく出て行かなかったものだと思うよ」と口を揃える。子どもたちが大家族育ちのよさを身につけられたのは義母が耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだからなのだ。
「でもうちはうまくいってるよ。目立った衝突もないしね」
と夫が思っている家だって妻は多かれ少なかれ、別居嫁が味わうことのない思いをしているはずだ。そういうことを世の夫たちのどのくらいが理解しているのだろう。

以前、「『嫁』という職業」というテキストを書いたことがある。わが家が職場になったとき、私はいったいどうなるんだろう。