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2007年02月02日(金) 「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」

内館牧子さんがエッセイ集「きょうもいい塩梅」のあとがきにこんな話を書いていた。
会社勤めをしながら脚本家養成学校の夜学に通っていた頃、雑誌で向田邦子さんのエッセイを読んだ。そのとき、「自分は脚本家にはなれないな」と思ったという。こんなにも日常的なワンシーンから人間の弱さや愛しさまで表現する力が脚本家には必要なのだ、と思い知らされたからだ。
しかし以来、内館さんは向田さんの「力」に憧れつづけ、その後本格的に脚本家を目指すために三十半ばで会社を辞めるとき、みなの前で「私はいつかきっと向田邦子になります」と宣言したそうだ。

これを読み、私は自分が初めて向田さんの文章を読んだときのことを思い出した。「無名仮名人名簿」というエッセイ集だったのだが、ものすごい衝撃を受けた。
こんなどうということのない出来事、ありふれた情景がエッセイの種になるのか!という驚き。……いや、「この人だからエッセイにできるのだ」という感嘆だ。
ふつうの人はそれなりの対象がなくては絵が描けない。薔薇が生けられた花瓶、美しい野山の風景を描いて初めて鑑賞に耐えうる絵になる。しかし、向田さんの前には道端の石ころさえ立派なモチーフになる。そして、その「なんでもないもの」を描いた絵が見事なのだ。
どう見事なのかは実際に読んで感じてもらうしかないが、これが才能というものなのだ、と思った。それは文章読本を何冊読んだところで手に入れられるものではない。
誰にも憧れの文章というのがあると思うが、私にとってエッセイの最高峰は向田さんのそれである。

* * * * *


こういうすごい人の文章を読むと、同じ身辺について書いたものでも自分のはまったく素人の作文だと思い知らされる。けれども作文書きなりに「昨日よりも今日、今日よりも明日」と思い、勉強にもなろうとたくさんのエッセイやweb日記を読んできてわかったことがある。
人気のある書き手は“三点セット”を持っている、ということだ。

ひとつは、テーマ選びのセンス。
文章がおもしろくなるかならないかは「なにについて書くか」を選んだ時点でほぼ決まる、と私は思っている。つまらないものはどう書いてもおもしろくなりようがない。読ませる文章を書く人はその選定と調達が本当にうまい。
即ネタになるような事件はそうそう起こらないから、平凡な毎日の中にも落ちているキラッと光るものに気づいて拾い上げられるかどうか、である。
向田さんは誰も目に留めない石ころのような出来事を題材にしたが、それは凡人の目にはなんの変哲もないように見えて、実はちゃんと絵になる形をした石ころだった。この眼力というか視点というかは文才と呼ばれるもののひとつだと思う。
そして、目のつけどころが違う人はたいてい発想のほうもユニークだから、その文章はおのずと発見の多い興味深いものになる。

ふたつめは、再現力。
誰かになにかを伝えるためには、それを「文章」という目に見える形でアウトプットする必要がある。自分の内にあるものをどれだけ正確に再現できるか、ということだ。漫画家にストーリーを十分に読者に伝えるための画力が必要なのと同じである。
日本語の文章として正しいかどうかはそれほど問題ではない。文法的に難があろうが、言いたいことを伝えられればいいのだ。正しい日本語の文章が書けることより伝えるべきことを伝えるための技、コツを持っていることのほうがずっと強い。
「なにを書くか」を選びだす目は天賦のものだからどうにもならないけれど、それを「どう書くか」の腕はトレーニングを積むことで向上する要素である。……と信じているから、私は今日も書いている。

最後が、書き手自身の魅力。
小説と違ってエッセイや日記といったものは文章と書き手を切り離して読むことがむずかしい。敵性読者なんて言葉があるくらいだから、隙あらばけちをつけてやれと思って読む人もいるのだろうが、嫌いな人の私事になんて興味はない、あるいは不快になるから読まないという人のほうがずっと多いだろう。
そう考えると、人柄に魅力のある人がよく読まれるのは必然とも言える。



四年ほど前に買った「婦人公論」の付録に林真理子さんが書いた文章読本がついていた。その中の「勘違いの文章」という章に耳の痛いことが書いてある。
有名人でもなんでもないあなたが誰と食事をし、どういう話をしたかなんて知らされても誰も喜ばない。あなたがどんなふうにご主人と出会い、どんな子育てをしているかなんて聞かされても誰もうれしくない。しかし、そこのところを勘違いしている人がとても多い。
「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」
素人の人はこのことをまず心に刻みなさい。それでも手記やエッセイを書きたいと思うのなら、相手の耳をこちらに向けられるようおもしろいものを書くための努力を必死でしなさい------という内容だ。

「誰もあなたのことなんか知りたくないのだ」
とても厳しい言葉であるが、しかしそのとおりだと思った。素人がものを書くとき、これが原点にあることを忘れてはならないのだ。
このサイトをお気に入りに入れ、明日も来てくれる人はいるだろう。でもそれに甘えず精進しよう。幸せなことに世の中には勉強になる、すぐれた文章がたくさんある。

【あとがき】
私にとって向田邦子さんの文章は完全無欠ですが、他にも「読むと勉強になる」と思う作家は何人かいます。端正な文章だと思うのは林真理子さん、鷺沢萌さん、比喩や言葉の選び方がずば抜けてうまい(さすがだ)と思うのは俵万智さん。ただ単におもしろいエッセイ、好きなエッセイは他にもたくさんあるけれどね。