電車の中で本を読んでいたら、突然異様な臭気に鼻を突かれた。
「こ、この匂いは……」
さりげなくたったいま埋まったばかりの左隣の席に目をやると、スーツ姿の中年男性。私は心の中で「ビンゴ!」と手を打った。
先日、夫、夫の同僚Aさん、その奥さんというメンバーで食事をしたときのこと。奥さんがAさんの体臭がすごくて困っている、と私に訴えてきた。夫婦は私たちより十ほど年上。そう、加齢臭である。
Aさんとはこれまでにも何度も会ってきたが、とくに気になったことはない。が、奥さんは「朝起きると、寝室に充満した匂いで鼻が曲がりそうになる」と言う。
古いてんぷら油が変質したような、あのなんとも言えない匂い。電車やエレベーターの中でときどき遭遇するが、長時間嗅がされるのはたしかにつらいものがある。けれど、本人を前に奥さんに同調するわけにもいかない。
どう反応したものかと思っていたら、Aさんが反論をはじめた。
「そんなことあるかいっ。俺はぜんぜん匂わんぞ」
「自分の匂いやからわからんだけや。あんた、夜お風呂入らんと寝るから余計くさいねん!」
「酒飲んで風呂入ったら頭の血管プチッといくかもしれんやないか。だから朝に入るんじゃ」
私はそのやりとりを笑いを堪えつつ聞きながら、「たしかに匂いっていうのは自分じゃわからないんだよねえ」と頷いた。
以前いた会社に香水の香りをぷんぷんさせて出勤してくる女性がいた。「毎朝バケツで頭から香水かぶってくるんじゃないの?」と陰口を叩かれるほどなのに、化粧直し時のシュッとひと吹きを欠かさない。
私は彼女とは部署が違ったため、トイレやロッカールームで一緒になったときに口で息をするくらいで済んだが、席の近い人にとってはかなり深刻な問題だったようだ。
「休日出勤したら、例の匂いがしたんよ。で、彼女も今日来てるんやって思ったら、やっぱり休みで。前の日の残り香やったんやね……」
「会社帰りに友達に会ったら、『それ、ゲランのナントカって香水でしょ!』って言われたんです。私、香水なんかつけてないのに」
体調が悪いときは頭痛や吐き気がしてくるらしく、とくに男性は彼女が去った後の喫煙ルームは想像を絶する匂いになると真剣に嫌がっていた。
それでも本人は自分が“香害”を撒き散らしているとは夢にも思っていないのである。
あるとき、たまりかねた後輩が「○○さんが通った後には香りの道ができるのですぐわかります」と彼女に言った。そう言えば角を立てずにつけすぎであることを伝えられるのではないか、と期待したのだ。
しかし、彼女は「あら、そう?」と笑顔で立ち去ったという。褒められたと勘違いしたらしい。
香水のきつい人というのは貧乏ゆすりをする人、ひとり言が多い人とともに隣席を免除してもらいたい同僚である。
なあんて言っている私もときには失敗をする。
夫の会社で、事務の女性たちが「週明けは酒くさい男性社員が多い」という話をしていたらしい。そこで夫が自分はどうかと尋ねたところ、
「酒くさいと思ったことはないですけど……。△△さん(夫のこと)、昨日ギョウザ食べたでしょう」
と返ってきたそうだ。
ひえー。晩ごはんのおかずが足りなくて、休みの前でもないのに冷凍ギョウザを焼いて品数合わせをしたことがあったかもしれない……。
す、すみません、妻の不手際でございます。