過去ログ一覧前回次回


2006年03月03日(金) 私が知らない給食の味(前編)

「ハイ、これお土産」
帰宅した夫が御機嫌で言う。出張先からお土産を持って帰ってくるなんてめったにないことだ。
「懐かしいでしょ。金沢駅で売ってるの見つけてさ、つい買っちゃった」
早速袋を開けてみたら、ものすごく大きな棒状のドーナツが一本入っていた。
えーと、えーと。甘いものは好物だから買ってきてくれたのはアリガトウなんだけど、これの何が懐かしいの?
すると、夫はえーと不満そうな声をあげた。
「ほら、給食に出たじゃないか。うまかったよなあ、大好きだったよ、揚げパン……」

遠い目をしている夫の傍らで、私は「おおっ、これが!」と膝を打った。
というのは、原田宗典さんのエッセイで子どもの頃、転校先の小学校で初めてそれが出てきたとき、「こんなおいしいものは食べたことがない」と感動したという話を読んだことがあったからだ。偏食がひどく給食嫌いだった原田少年に「この日だけは死んでも休まんもんね!」と誓わせる揚げパンとはいったいどんなものなのだろう?と思っていたのだ。

揚げたコッペパンに砂糖ときなこがまぶしてある。夫が言うには、これがまさに給食で出た揚げパンだそうだ。
こんなおやつみたいなものが主食として出たの?と驚きつつ一口かじってみると、見た目通り甘くてかなり油っこい。だけど、素朴な味でおいしい。
いまの私にとっては「これ一本で何キロカロリーあるのかしら……」と考えずにいられないようなパンであるが、もしあの頃給食のメニューにあったら大喜びしただろう。原田少年の学校でも揚げパンが出る日は欠席率が驚くほど低かったそうだ。



……という話を昼休みに同僚にしたところ、二人から「懐かしい」と声があがった。
「休んだ子のパンは家の近い子が届けてあげるんやけど、揚げパンの日はジャンケンやった」
「そうそう。いつもはおかわりとかしない女子も揚げパンが余ったときは参戦してたよね」

学年も出身地もまったく違うところを見ると、揚げパンは地域限定メニューではなかったらしい。
ではふだんはどんなパンだったのかと訊いてみたら、食パンだったという学校あり、コッペパンだったという学校あり、中にはときどきブドウパンが出たというところも。
私は五年生のときに転校したので二つの学校の給食を知っているが、どちらもコッペパンだった。これ以外のパンを食べた記憶はない。でも、銀紙に包まれた四角いマーガリンがたまにチョコレート味になることがあったし、イチゴジャムの小袋に書いてある豆知識(「キリンの首はなぜ長いか」とか)を読むのも楽しみだった。
おかずがカレーや焼きそばの日は男子はパンをくり抜いてカレーパンや焼きそばパンを作っていたっけ。それがすごくおいしそうで、私もああして食べたいと思ったけれど、恥ずかしくてできなかったんだよなあ……。

みなでワイワイガヤガヤ食べる給食の時間が大好きだった。
あるとき、配られた翌月の献立表のプリントを見て私は目を輝かせた。なぜって、ある日の献立が「牛乳 パン きんぴら 親子に アイスクリーム」となっていたから。
「うわあ、お母さんの分もアイスクリームもらえるんだー!」

飛び跳ねるように学校に行ったら、配られたアイスクリームはいつものように一個だけ。隣りの子に訊いたら、彼女はげらげら笑いだした。
「そんなわけないやん、それにどうやって持って帰るんよお?」
「親子に アイスクリーム」は親の分のアイスクリームもあげますよという意味ではなく、「親子煮」という名の鶏肉と玉子の煮物とアイスクリーム、ということだったのだ。
ちょっと考えればわかりそうなものなのに、食いしん坊の私は完全に勘違いしてしまったのである。 (つづく