2006年02月27日(月) |
恋愛事情、いまむかし |
仲の良い同僚五人で飲みに行った席で、ある女性社員の話になった。
年の頃は二十代半ば、とてもスタイルがよくてオシャレで、同性の目にも素敵な人である。ただの一度もスカートを履いてきたことがなく、なにかポリシーがあるのだろうかと気になってしかたがないのだが、私たち派遣社員とは話す機会がほとんどないため、彼女のプライベートは謎に包まれているのだ。
誰かが言った。
「やっぱり彼氏おるんかな」
どうかなあと首をひねるメンバーに、私は即座に「いるよお」と答えた。
「なんでわかるん?」
「だって、左手の薬指に指輪してるもん」
私はそういうところにぱっと目が行くのだ。社内の男性を結婚指輪をしている人としていない人に分けろと言われても、たぶん満点取ることができる。
「チェック鋭いなあ。ぜんぜん気づかんかったわ」
と感心され、ちょっぴり得意な気分になっていたら。うちのひとりが異議を唱えた。
「指輪してたって彼氏おるとは限らんやん」
と彼女。
「なんで?左の薬指に自分で買った指輪はせんやろ」
「そんなことない。私もしてたことあるし、友達も自分で買ったやつ普通につけてるで」
「えっ、そうなん!」
彼女は二十四歳、私とは十年のタイムラグがある。いまの彼女と同じ年の頃を思い出してみる。
当時すでに「左手の薬指の指輪=既婚者の証」という図式は成り立たなかった。けれども、「夫、もしくは恋人ありの証」とみなすことはできた。あの頃、もし恋人もいないのにそこに指輪をしていたら、美人な女性であれば「男除けかな」と思ってもらえたかもしれないが、そうでなければ「見栄張っちゃって……」という目で周囲から見られたのではないだろうか。
が、彼女曰く、「いまどき、左手の薬指は恋人用だなんてこだわらないんじゃないの?指輪のデザインで一番似合う指につけると思うよ」とのこと。
私はすっかり驚いた。かつて、左手の薬指は私にとって特別な指だった。指輪は大好きだからだいたいの彼氏からもらったけれど、つけるのはいつも右手の薬指。左手につけるのはやっぱりエンゲージリング、それまでその薬指は“バージン”にしておこうと思っていたのだ。
友人の間では恋人からもらったものを左手につけるのが流行っていたが、私のように「その日までとっておこう」とする女の子もまだたくさんいた。少なくとも、「指がむくんで、右手にしていたのがきつくなったから」なんて理由でその指を使用したりはしなかったように思う。
そして私は、そうだったのか!と膝を打った。
熱愛報道をされた芸能人が「彼とはいいお友達です」と交際を否定しながら、左手の薬指をキラキラさせていることがある。私はそれを見るたび、「誤解を招くようなもん、つけてるからよ」と突っ込みを入れていたのだが、なるほど、あの指輪には深い意味はなかったのね。
ということは、「荒川選手も村主選手も安藤選手も、みんな恋人いるんだなあ」と思っていたけれど、そうとは限らないわけか。
思わずつぶやく。
「時代は変わるんだなあ……」
そうしたら、ふと思い出した。以前、「セックスしたことのない相手と結婚するなんてとんでもない、おそろしい」と書いたら、ある女性から「二十五年前、私が結婚した頃は婚前交渉はタブーでした」というメールをいただいたことを。
十数年前の私の大学時代にはすでに「婚前交渉」という言葉は死語と化していたし、女性のバージニティを尊ぶ風潮もほぼ絶滅していた。しかし、私よりひと回り上の人たちが二十代だった頃にはまだ存在していたのだ。
いまや結婚前のセックスが当たり前どころか、付き合う前にやっちゃうのもアリ、なご時世である。そして、新婚カップルの四組に一組が“おめでた婚”という事実。
「十年やそこいらでこれほどまでに価値観が変わるのか」
と感慨に浸ってしまった。
林真理子さんのエッセイに、「最近の子は独立したキスの思い出を持っていないらしい」という文章があった。キスをしたらそのまま最後までいってしまうためである。
あら、私なんて完全独立型だから、思い出に残るキスTOP3を挙げることができるわよ、となぜか胸をそらす私。
私の中学、高校時代には、セックスに至る過程にはA・B・Cの三段階が存在していた(若い人は近くにいる三十代に「恋のABCってなんですか?」と訊きましょう)。だからあの頃は、昨日はデートだったという女の子に「ね、ね、どこまでいったの?」と質問することができた。
けれど、バラ売りなしの三点セットになっているということは、いまの人には「やったのか、やってないのか」と訊かなくてはならないのかしらん。
ああ、身も蓋もない。時代は変わる……。