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2006年01月27日(金) クレームをつける人

立ち読みした『週刊文春』で、林真理子さんのこんなエッセイを読んだ。
オペラを見た帰り道、タクシーを拾おうとしたら思いきり無視された。が、車がすぐそばの信号で引っかかったため走り寄って乗り込み、「どうして停めてくれなかったんですかっ」と文句を言った。運転手はしどろもどろになって言い訳をしたが、怒りはおさまらなかった……という内容だ。

「君は気が強いからそういう嫌な目に遭うんだよ。自分を避けてるタクシーにどうして無理に乗ったりするんだ。一台ぐらいやり過ごせばいいじゃないか」
という林さんの夫の意見はもっともだ。乗り込めば運転手はバツの悪さから黙り込み、自分は彼の顔を見てムカムカし、その空間が気まずい空気に包まれるのは間違いない。
だから、私なら乗らない。「あの客は遠くまで行きそうにないな」とこちらを値踏みし、乗車拒否をしたタクシーの売り上げになど貢献してやるものかという思いもある。
が、一方で、林さんがわざわざそのタクシーに乗り込み、「待ってる私に気づかなかったんですか」と問い詰めずにいられなかった気持ちもよくわかるのだ。私もどちらかと言えば、客の立場にあるときに理不尽な扱いを受けると「どうして自分はそのように扱われたのか」を解明したいと思うほうだ。

先日、書店で若い女性店員にある本を置いているかと尋ねたところ、「Eカウンターで訊いてください」という答え。初めて立ち寄る店で、しかもフロアはかなり広い。どのあたりかとさらに尋ねたら、彼女は数秒間沈黙した後、「……で、私は案内すればいいんですか」。
「ご案内しましょうか」ではなく、「案内すればあなたの気は済みますか」というニュアンスだ。彼女は仏頂面でカウンターから出てきてEカウンターが見えるところまで行くと、無言のまま手で指し示した。
私はしばらくあっけにとられていたが、落ちつくと腹が立ってきた。つい癖で言ってしまった「ありがとう」を取り返したい気分になった。

が、友人は「彼女の名札、チェックしとけばよかったわ」と歯噛みする私に、自分はいままで面と向かって抗議をしたり苦情の電話をかけたりしたことがない、そうしたくなったことは何度もあるがいざとなると気後れしてしまうのだと言う。
ふうむ、そういう人は少なくないかもしれない。
たとえば外で食事をしていて皿の中から髪の毛や虫が出てきても、店員に言わない人はけっこういる。彼女がそれを取り除いて続きを食べていたら「そのくらいどうってことないんだな」と思えるのだけれど、たいていの人はもう箸をつけない。それならどうして取り替えてもらわないの?と私は不思議でならない。
クレームをつけるという行為は言われる側のみならず言う側にとっても嫌なことだし、少々勇気のいることでもある。名前を訊かれたり謝罪に伺うと言われたりするのは面倒だし、万が一にも「ごねている」と思われたらしゃく。だから我慢してしまう……となるのは理解できる。
けれども、「これ、髪の毛入ってたんで交換してください」はそんな大層なことではない。「それは申し訳ございませんでした」「いえいえ」で済む話だ。お金を払うのに損をした気分のまま店を後にするなんてバカバカしいじゃないか。
友人が注文したサラダにドレッシングがかかっていなかった。が、彼女はトッピングの塩昆布の塩味だけで食べ続けようとする。
「店の人に言いなよ」
「ううん、べつにいい。こういう味のものだと思えば」
こういうのには本当に驚いてしまう。

* * * * *

……という話を職場でしたところ、「うちのだんなも店の人になんもよう言わん客やわ」と同僚。
然るべき場面でクレームをつけたり意見をしたりしないだけでなく、「値切る」ということもしないらしい。「電化製品を表示価格で買う人がどこにいるよ?」と彼女が値引き交渉を始めると、いつもどこかに消えてしまうのだそう。
するともうひとりの同僚も、うちもそうだと言いだした。
「ちょっと値の張るものを買うとき、店頭に陳列してあるものじゃなくて在庫の新品を出してきてもらうんやけど、そういうのもぜったい私に言わせるねん」
へええ、彼らはそういうことをみっともない、恥ずかしいと思っているのだろうか。
私の夫とはぜんぜん違う。彼はそのあたりの遠慮や物怖じはしない人だ。

出張先の夫からメールが届いた。
「交渉成立。物損、百万出ることになりました」
去年の秋、彼はオートバイで六甲を走っていて、目の前で転倒したオートバイと衝突した。バイクは廃車になり、レーシングスーツは破れ、彼自身も太腿を内出血で真っ黒にして帰ってきたのだけれど、保険会社から提示されたのは二十万。
たしかに年季の入ったバイクだが、エンジンを積み替えたりあれこれパーツを取り付けたりしてレースにも出ている。その金額ではバイクどころかつなぎを買い替えるのがやっとである。
というわけで粘り強く交渉し、そこまで持っていったらしい。
初回提示の額で引き下がる人ではないとは思っていたが、「ウーン、さすが……」とうなってしまった。