2006年01月06日(金) |
親知らずが抜けない訳 |
檀ふみさんのエッセイに、歯についての話があった。
昔から歯が悪く、高校生のときに「君は嫁入り前に総入れ歯になる」と歯医者さんに宣告された。毎食後三十分かけて磨くのだが、それでも膿んだり痛んだり。これまでにかかった治療費を合計したら、上等な車が買える------という内容である。
たしかに、歯を治すには時間もさることながらお金がかかる。以前、雑誌でソムリエの方が「ワインの勉強のために胃の中に家を一軒建てました」と言っているのを読んだことがあるが、歯の弱い人が長年保険の利かない治療を続けていたら、口の中に車を買うくらいのことはできるかもしれない。
そんなわけで歯医者さんと縁の切れない檀さんであるが、幸いなことに歯医者さんが大好きなのだという。歯がよくなると思うと、あのキーンという音も治療中の痛みも好ましいものに感じられるそうだ。
が、こういう人はかなりめずらしいだろう。「地震・雷・火事・親父」はひと昔前までの「怖いもの」であるが、現代なら「歯医者」もランクインするのではないかと思うくらい、世の中にはそれに恐怖を感じる人が多い。
放っておけばひどくなる一方なのだと頭ではわかっていても、我慢に我慢を重ね、一日でも行くのを先延ばしにしようとする。大の大人がこれほど堂々と嫌がったり怖がったりする場所は、なかなか他にないのではないだろうか。
かくいう私も長いあいだそうだった。幼稚園の頃に通っていた歯科医院の待合室の壁紙の模様をいまもはっきり覚えている。小さな私はそこに置かれていたぬいぐるみや絵本には目もくれず、自分の番が来るのを恐怖におののきながら待っていたのだろう。
歯医者通いが苦手でなくなったのは、かなり最近のことである。
二年前、突然前歯の一本が激痛に見舞われた。昨日までは冷たいものがちょっとしみるなあというくらいだったのに、今日は唇が載っているだけで痛い。食べることも話すこともできず、近所の歯科医院に飛び込んだところ、それがとてもいい先生だったのだ。
腕の良し悪しが私にわかるわけはないから、「いい」の基準は「優しくて、痛くしない」こと。
もし「どうしてこんなになるまで放っておいたの!」「ちゃんと歯磨きしてるんですか!?」なんて叱られたら萎縮してしまうし、過去には麻酔なしのときに神経を触られたり(あまりの痛さに泣いてしまった)、治療後も疼き続けたり……ということがあった。
しかし、その先生にかかるようになってからはそういうことは一度もないし、治療中にいま口の中でどんな作業をしているのか、次はなにをするのかについて説明してくれるのもありがたい。「ちょっとごろごろと響く感じがすると思いますけど大丈夫ですよ」とか「薬をつけて虫歯が除去できたかどうか調べさせてもらいますね」とか言われると、なんとなく安心できる。
これまでは治療以外のことで歯医者さんに行くなんて考えられなかったが、そこでは歯みがき指導や歯周ポケットの測定検査を受けたり、スケーリング(歯石除去)をしてもらったり。この世でもっとも行きたくない場所のひとつだったのに、ずいぶんな変わりようだ。
ところで、私の右下の親知らず。
虫歯になったことがあるのだが、横倒しになっているため被せることもできないそうで、セメントを詰めている状態である。先日それが取れてしまったので、くだんの先生に「セメントを詰め直すくらいなら、いっそ抜いてしまいたい」と言ったところ、いまひとつ気が進まない様子。
私は、実はこれまで何人かの歯医者さんに抜きたいと伝えたのだが、どの先生にも「いますぐ抜く必要はないと思いますよ」と言われて暗に断られてきたんですよ、という話をした。
「『どうしてもというなら口腔外科に行ってください』って言われたこともあるくらいだから、よほど厄介な生え方をしているんでしょうねえ……」
すると先生は苦笑しながら、「大きな声では言えませんが、歯医者にも得手不得手がありましてね」。
そして、
「僕みたいに“被せ”を専門にやってきたようなのは正直なところ、抜歯はあんまり……なんですよ。とくにこういう親知らずは。でも、口腔外科には歯を抜くのが好きというか、得意な先生が多いんですよね」
とおっしゃった。
そうだったのか!だからどの先生も抜きたがらなかったんだ。
いくら信頼している先生とはいえ、「まあ、うちでも抜けないことはないですが……」ではお願いするのは腰が引ける。かといって、抜歯好きの先生がいっぱいいるという口腔外科に足を踏み入れる勇気もまだない。
そんなわけで、今回も「しばらく様子を見ましょう」になったのだけれど、歯医者さんにこんなにはっきりとした不得手があるというのはちょっと面白い発見だった。