友人から届いたハッピーバースデーメッセージ。文末に「私のときもお忘れなく!」の一文を見つけ、苦笑する。
はいはい、わかってますってば。彼女の誕生日は私の一週間後。まったく抜かりないんだから……。
といっても、この年になってプレゼント交換をするわけでなし、“お忘れなく”の中身は「私にも『おめでとう』を言ってね」という、ただそれだけのことなのだけれど。
たった五文字。だけど催促してでももらいたいって気持ち、わかるよ。
目に見える形にしてもらわないと受け取れないものって、耳で聞くことができる形にしてもらわないと信じようのないものって、やっぱりあるもの。
「人生これから。幸せな一年にしてください」
だいじょうぶ。なに不自由なく暮らしてるよ。
だから、欲しいものはひとつもない。望めば手に入るものの中には。
* * * * *
うんと小さい頃、サンタさんには毎年同じものをリクエストした。そして毎年、枕元の四角い箱をひと目見て、今年も願いが叶わなかったことを知った。
だって私がお願いしたものだったら、包みは棒みたいな形をしているはずだもの。
「どうして叶えてくれないんだろう?こんなにお願いしてるのに」
サンタの正体を知ったのと、注文の品がまずかったのだと------「魔法の杖」だった------知ったのと、どっちが早かったんだっけ……。
この世にないものをあきらめるのは、五歳の子にもできる。ならばこの世にあるものでもあきらめることができるのが大人、なんだろうか。
だとしたら、いつまでたっても変われない私ってなんなんだろう。