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2005年11月11日(金) 百読は一見にしかず

書店で立ち読みをした『週刊新潮』の中に、「講演会」について書いた渡辺淳一さんのエッセイがあった。
講師として招かれることが多いが、苦手なことがいくつかあるという内容だ。講演がはじまるときに司会者の「盛大な拍手でお迎えください」の声とともに会場の後ろから演壇まで聴衆のあいだを歩かされること、登壇してから長々と経歴を読みあげられることがとても嫌なのだそう。
「話しているとのどが乾いてくるが、どうしても水差しの水を飲むことができない」というくだりにも、へええと思った。聴衆にじいっと見つめられているのでグラスに水を注ぐとき、手元が狂ってこぼしてしまいそうだとおっしゃる。
世間に名を知られ、「先生、先生」と呼ばれているような人でも、人前に立つと気恥ずかしさを覚えたり緊張したりするのだなあ、と少々意外だった。


作家の講演を聴くのが好きだ。そうたくさん経験があるわけではないが、実感しているのは「ものを知っている人、いろいろな経験をしてきた人の話は面白い」ということだ。
おとつい、養老孟司さんの「なぜ日本は『少子高齢化』したか」というテーマの講演を聴きに行ってきたが、これもとても勉強になった。
「子育ては農業と同じ。“子ども”という、毎日変化し常に手入れが必要なものと付き合うにはエネルギーがいる。ボタンひとつで風呂が沸き、ご飯が炊きあがる時代に、子育てのように手間ひまがかかり、かつ結果が予測できないものがすたれていくのは当たり前」

これを聞いて、酒井順子さんの著書『少子』の一節を思い出した。
「生まれた頃から洗濯機も掃除機も冷蔵庫も家にあった世代にとって、全て人の手によって行なわなければならない育児という家事労働の面倒臭さ加減は、クッキリと際立ってしまいます。これは、他の家事が全て手作業だった時代の人達には理解できない感覚なのかもしれませんが」

面倒くさいから子どもはいらない、なんて文字通り「世も末」のような気がするが、実際私のまわりにもそれを理由に結婚に魅力を感じない、あるいは子どもは作らないと公言している人がいる。
彼らの顔を思い浮かべると、「脳化社会(都市社会)に子どもが減るのは必然」という話はすんなり私の中に入ってきた。


そしてもうひとつ、講演会に行くたび思うのは、百聞ならぬ「百読は一見にしかず」ということだ。
その人の書いたエッセイを何十冊読んでいようと、実物に会うと「来てよかったなあ」と思えるような発見が必ずある。顔写真のまんまだ!と感嘆することもあれば、思っていたよりキレイだったと驚くこともある。シャイで不器用そうなイメージをしていた人が実はとても話上手で、聴衆を沸かせっぱなしだったということもある。
客席を見渡せば、その人がどんな人たちに支持されているのかがわかるのも興味深い。養老孟司さんのときは年齢層が高く、熟年の男女が多かったが、林真理子さんのときは見事に二十代、三十代の女性ばかり。男性は五百人中五人いるかいないかで、「私には男性ファンが少ないの」と苦笑しておられたっけ。

そうそう、林さんの講演会は忘れがたい思い出だ。
「人間スピーカー」の異名を取り、講演依頼も多いという噂通り、話はとても面白かった。一時間半はあっという間に過ぎ、私はクロークに預けていたコートを受け取るために長い列に並びながら、一番好きな文章を書く人に会えた喜びと、それと同じくらい大きな寂しさに包まれていた。
講演の最後にあるかもしれないと期待していた質問の時間もなく(あったら真っ先に手を挙げようと思っていた)、林さんはあっさり扉の向こうに消えてしまった。コンサートのように「アンコールに応えて再登場!」ということもない。
多くの人はプレゼントや花束を受け付け時にホテルの人に預けていたが、私は手渡しできるチャンスがあるかもしれない、と書いた手紙をまだ持っていた。帰り際、それをホテルマンに託すとき、「一言でいいから言葉を交わしてみたかった」という気持ちでいっぱいになった。

そのときふと、講演の中で林さんが口にした言葉が胸に浮かんだ。それは、
「してしまったことの後悔は日に日に小さくしていくことができる。でも、しなかったことの後悔は日増しに大きくなる」
というもの。そうしたら、「このまま帰っちゃだめだ」という思いがふつふつと湧いてきた。
私はホテルの外に飛び出した。建物の周囲をぐるりと回る。いない、いない、どこにもいない。
忙しい人だから、もうタクシーに乗って行ってしまったのだろうか……。

うなだれながら裏口のあたりを歩いていたら。
突然目の前のドアが開いて、ピンクのスーツを着た背の高い女性が出てきた。
「マリコさん!」
恥ずかしいとか迷惑かもしれないとか、そんなことは頭になかった。
「あ、あの、今日はほんとにありがとうございました。お目にかかれてすごく、すごくうれしかったです」

感激のあまり涙があふれてきて、それ以上なにも言えなかった。
林さんはびっくりした様子だったけれど、「どうもありがとう」と私の目を見て言ってくれた。

* * * * *

内館牧子さんの講演会が月末にあると聞いて大喜びした。文庫になったエッセイはすべて読んでいる。脚本家としての活動以外にも女性初の横綱審議委員を務めたり、現在は「横綱神学」で修士号を取得するため東北大学の大学院で勉強したりしている人だ。面白い話を聞かせてくれるに違いない。
……と思ったが、開催が東京だったため今回は涙をのんだ。

話を聞いてみたいなあと思っている作家は何人もいる。またチャンスをつかまえて、イメージと実物の“答え合わせ”をしに行くんだ。