ふと立ち寄った書店で、店頭に平積みされていた『大人力検定DX』という本が目に留まった。
著者によると、「大人力」とは“無難”を選択して世の中をスムーズ、かつスマートに渡っていく力。ビジネスや恋愛のシーンにおける「こういうときはこう対処しましょう、それが大人(=無難)というものです」を指南した、お遊び半分の男性向けマニュアル本だ。
千円も出して読むものではまったくないが、「よくまあこんなしょうもないこと考えつくなあ!」と言いたくなるようなことを大真面目に説いているあたりにシンパシーを感じ(なぜかしら……)、気がつくと平台の前でけっこうな時間を消費していた。
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さて、その検定問題の中にこういう設問があった。
付き合って初めてセックスした彼女が終わった後、「私、こんなに感じたの初めて……」と言った。どう受け止めるべきか。
A. 「フフフ、俺のテクもなかなかのもんだぜ」 B. 「次は今日以上に頑張らなくっちゃ」 C. 「いつもこう言ってるのかな」 D. 「なーんだ、処女じゃなかったのか」
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大人力を測るためのテストであることを思えば、正解が「B」であることはすぐにわかる。著者曰く、「お世辞にせよ本音にせよ、彼女の期待を察知してさらに闘志を燃やすのが大人の男の向上心というもの」だそう。
しかし、もし問題文が「どう受け止めるべきか」ではなく「あなたならどう受け止めるか」であったなら、答えは違ってくるという男性は少なくないのではないだろうか。
解説の冒頭が「男と生まれたからには、死ぬまでに一度でいいから女性からこのセリフを言われてみたいものだ」という一文だったのであるが、実はこれ、女の私にとっても「一度くらい言ってみたいものだ」なセリフである。
といっても、「は〜あ、いっぺんくらい言わせてもらいたいもんだわね」といった皮肉な意味ではない。過去にお付き合いした何人かの男性の名誉のために言っておくと、そんなことを囁きたくなったこともなかったわけではない。
ではどうして口にしたことがないか。
「言ったところで信じてもらえるのかなあ?」と考えてしまうからである。
「もっとも望ましいのはB。しかし、夢見る年頃を過ぎた男はCのような思いをよぎらせてしまうかもしれない」
と著者は言う。たしかに、その場面で「リップサービスかも?」をちらっとも思い浮かべない男性はそういないのではないか、と私も思う。「そうか、俺が一番よかったか!」とホクホクできるとしたら、よほどの自信家か能天気な人ではないかしら……。
それよりも、「及第点はもらえたんだな、ホッ」くらいに少し割り引いて受け取る男性のほうがずっと多そうだ。
どうしてそんなに慎重なのか。
人は三十年も生きていると、この世にはそうそう“初めて”や“一番”は存在しないということを知ってしまうから。
「○○なのは、あなたが初めて」とか「君がいままでで一番、○○だ」というのはベッドの上でのことに限らず、恋愛中には時々口にしたくなる言葉であるが、紛れもない事実や本音であっても、額面通りに信じてもらうのはなかなかむずかしい。「そう言いたくなるくらいうれしかったんだな、よかったんだな」とは思ってもらえても。
そんなわけで、そのセリフを思い浮かべることがあっても呑み込んできた私。照れくささや「他の人を引き合いに出して褒めるっていうのもちょっとあれかな……」という思いも手伝って、一度もそれを言ったことがない。
そしてこの先も、きっと言えない。
褒めるといえば、以前ある男性が「私にとって女性に言われて一番うれしい褒め言葉は、『抱いて』ですね」とおっしゃった。それほど男を認めている言葉はない、と。
非常に納得したのであるが、逆パターンは成立しがたいのが面白い。女性が男性に「君を抱きたい」と言われても、褒め言葉であるとは限らない。場合によっては、「バカにしないでよ!」と平手打ちをお見舞いしたくなることもありうる。
では、私にとって最高の褒め言葉は何かというと。
「君が好き」
これほどスケールの大きな褒め言葉を他に知らない。
そういえばしばらく聞いてないなあ……。