2005年07月06日(水) |
「それ以上、我慢しないでください」 |
このところ、見るたびどきっとするCFがある。
「いつからですか?いつから我慢してるんですか?」
という、製薬会社グラクソ・スミスクラインのうつ病啓発活動のCFだ。つけっぱなしにしているテレビから木村多江さんが淡々と問い掛けるあの声が聞こえてくると、つい手を止め、じっと画面に見入ってしまう。
数日前、学生時代の友人A子に会ったときのこと。「こないだ、B子のとこに行ってきたわ」と彼女が話しはじめた。
B子というのは共通の友人で、この四月に転勤になったため、現在地方でひとり暮らしをしている。私は壮行会で会ったときに彼女が実家を離れることを本気で嫌がっていたことを思い出し、元気にしていたかと尋ねた。
「それがなあ、うつ病になってしもたらしいねん」
「え・・・ええーっ!?」
「会うなり、『抗うつ薬を飲んでるから眠くなったりだるくなったりして無口になることがあるかもしれんけど、そのときは放っといてくれたらいいから』って言われて、もうびっくりして」
私も驚いた。だって、あの勝気で誰にでもぽんぽんと物を言う彼女が・・・?
しかしふと、少し前にやはりA子から聞いていた話を思い出した。
引越してから毎週末片道四時間かけて帰省している、ゴールデンウィークは飛び石連休だったため三回往復した、とB子が言うので、「寂しいのはわかるけど、そっちの生活にも早く慣れるようにせんと」と言ったところ、「そんなこと言うA子はキライ!」とガチャンと電話を切られてしまったというのだ。
私は思わず「子どもみたいなリアクションやなあ」と笑ってしまったのだけれど、そのときすでにB子は心配から出たA子の言葉を理解する余裕をなくしていたのかもしれない。
ひとりの知り合いもいない土地での初めてのひとり暮らし、職場の人間関係が良好でないこと、仕事量の多さ。それらからくるストレスが原因ということだが、それにしても転勤して三ヶ月である。
これほど短い期間でもなってしまう病気なのか・・・とショックを受けた。「うつは一ヶ月。一ヶ月つらかったら、お医者さんへ」というCFの呼びかけは、まったくおおげさではなかったのだ。
長年ファンをしている歌手のコンサートのチケットが取れたとB子が話すのを聞いて、A子がよかったねと言うと、
「うん、これで私、十月まで生きてられるわ」
と返ってきた。A子は冗談だと知りつつも笑えなかったという。
「あの子に限ってとは思うけど、でもうつで自殺する人は多いって言うやん?自分の体と仕事とどっちが大事か、よう考えやって言ってきた」
「そしたらなんて?」
「『来たばっかりやのに、しばらく休ませてとか大阪に戻してなんてぜったい言えん』って」
原因の所在がはっきりしているにもかかわらず、B子がそれをなんとかしようとしないのが、A子は歯がゆくてしかたがないようだった。その気持ちは私にもある。
しかし一方で、現実はそういうものなのかもしれないなとも思った。医者にしばらく会社を休むよう言われ、すぐにそうできるくらいなら、そもそも病気になるほど追いつめられた状態でいることはなかっただろう。
恋愛に興味がないB子は、学生時代から「私は結婚しない。一生仕事をして、親と暮らす」と公言していた。そのために彼女は公務員という職業を選んだのだ。
自宅療養をして病気を治したはいいが、そのときには机がなくなっているかもしれない。それは彼女にとってものすごい恐怖だろう。
いまから民間で定年まで勤められる会社を見つけられるだろうか。彼女がぎりぎりまでいまの仕事を手放せないと考えるのも無理はない気がする。
しかし、それでも。
私やA子は病気になった時点で「限界がきている」とみなすが、B子はそうは判断していないことを思ったとき、「心の病は怪我と違って傷口が見えないから、その苦痛が周囲の人に理解されにくい」という話をよく聞くけれど、それは案外当人にも当てはまることなのではないか?が頭をよぎった。
「まだだいじょうぶ」「そのうちよくなる」と、そのつらさや深刻さを実際より小さく見積もってしまうところはないんだろうか。
「それ以上、我慢しないでください」
彼女の“それ”が、私たちが思うよりもずっと先にありそうだから、こんなに心配なのだ。