過去ログ一覧前回次回


2005年06月27日(月) 落書き犯とのバトル

先日ネットニュースで、仙台の街を汚す落書きについて書かれた記事を読んだ。
以前の落書きは芸術性を感じさせるものも少なくなかったが、最近は意味不明な記号やわいせつな文言のものばかり。街の人は「落書きはすべて許せないが、美的感覚のないものだとなおのこと頭にくる」「知力が落ちたのか、低年齢化が進んだのか」と嘆いている------という内容だ。
芸術性や知性が認められるからといって落書きが正当化されるものでないことは言うまでもないが、ユーモアのあるものに出会って心が和んだり、不覚にも感心してしまったりすることはたまにある。

京都に住んでいた大学時代のこと。サークルに京都大学から来ている男の子がおり、「うちの大学に面白いものがあるから遊びにおいでよ」と誘われた。数日後、彼は私をある建物の脇に案内した。
「な、なにこれーー!」
私の目に飛び込んできたのは、壁面をめいいっぱい使って描かれた巨大な絵。不気味なモチーフであるが、何色ものペンキを使って“描かれて”いる(こちら)。
「これ、どうやって描いたん!?」
「さあ?でも一夜のうちに描かれてたらしいよ。すごいよね」
私は大学側がそれらを消さずに残していることにも驚いた。聞けば、同じような落書きはほかにもいくつかあり、京大の名物になっているというではないか。
寛大というかなんというか。これも京大が掲げる「自由の学風」ならではのことなんだろうか。

* * * * *

「京大の落書き」といえば、もうひとつ有名なものがある。京都大学の前身のひとつである第三高等学校の初代校長、折田彦市先生の銅像だ。
九十年代の初め、何者かによってスプレーで顔が赤く染められた。そして、台座には「怒る人」の文字。これが折田先生像をめぐる、大学と落書き犯のバトルの幕開けである。
巨大壁面落書きは放置している大学側も、さすがにこれには目をつぶらなかった。
しかしきれいに像を洗って元通りにしても、入学式や学祭、入試や卒業式などキャンパスに学生が溢れる時期になると、決まってあらたな落書きがなされる。しかも、それは回を重ねるごとにどんどん芸が細かくなっていくのである。
手をつけられたり、被り物を着せられたり。いたずらが始まってからついに像が撤去されるまでの七年のあいだに、折田先生は三十回近く“変身”させられたそうである。
あるときは新入生のサークル勧誘に借り出され、


「サイクリング部員」バージョン



またあるときは京大のシンボルから万博のシンボルに……

「太陽の塔」バージョン



またあるときは勝手に嫁に出された。

「花嫁」バージョン


消しては書かれ、また消しては書かれのイタチごっこで、大学側にとっては腹立たしいことこの上なかったであろう。とは思うものの、徹底的な犯人探しをせず、その都度洗浄することで対処したというところに、なにかこう温かいものを感じないでもない。
それに、もし折田先生が生きておられたとしても本気で怒ったりはしなかったのではないかなあという気がする。もちろん、自転車を担がされたりウェディングドレスを着せられたりするたび、「おっ、おいやめんか、わしになにをさせる!」とぼやいただろうとは思うけれど。
なんて言ったら、不謹慎だと叱られてしまうだろうか。
どんなにユーモアがあろうと、落書きがけしくりからぬ所業であるのは間違いのないところであるが、私は部外者の無責任さで、京大生というのはなかなかユニークなことを考えるのだなあと妙に感心してしまったのだった。

* * * * *

京大生のいたずらにはもうひとつ、「五山送り火事件」がある。
それは毎年八月十六日の夜、京都を囲む五つの山にかたどられた「大」「妙法」の字や鳥居、船の絵に火をともす盆の行事である。
地元の人間も観光客も山肌に浮かび上がる炎の文字を厳粛な気持ちで見守る。私も当時住んでいたワンルームマンションの屋上から、彼といちゃいちゃしながら眺めたもんよ……うふふ。
いやいや、そんなことはどうでもよい。
事件というのは、ある年の五山送り火のときに京大生の集団が山にのぼり、「大文字」の右肩でたいまつをボーボー燃やしたのである。どうなるかというと……





(想像図)


いくら面白かろうと「大」を「犬」にしてはやっぱりいけないわけで、これも人騒がせでとんでもないいたずらである。
が、そういう“馬鹿”をまじめにやる学生の姿と見物していた人たちの唖然とした顔を想像すると、忍び笑いが漏れてしまう。
そんなわけで私は誰かが京大卒だと聞くと、巨大落書きや折田先生、犬文字事件の話を思い出し、自分の母校出身者に感じるような親しみを覚えるのである。

写真を快く貸してくださった「私設図書館」の館主様(巨大壁面落書き)と「折田先生を讃える会」のえる会長様(折田先生像)に心より御礼申し上げます。
(落書きが描かれていた旧教養部A号館は数年前に新しく建て替えられ、現在では名物の絵は見られなくなってしまったそうです。一方、「銅像アート」と呼ばれた折田先生像へのいたずらはいまも続いているとのこと。「え、像が撤去されているのにどうやって?」って?それは上記サイトでご確認を)