過去ログ一覧前回次回


2004年11月29日(月) 色気の正体

先日、「見合いやコンパといった場で出会った初対面の男性から断られる場合、性格と容姿のどちらでアウトにされるのがより精神的ダメージが大きいか」という話を書いたところ(こちら)、男性からこんなメッセージが届いた。
「僕が女性との交際を考えるとき、彼女とベッドを共にできるかどうかが重要なポイントになります」
あらためて言われるとちょっぴりどきりとしてしまうが、実際はこれほどささやかな要求もない。
誰かを自分の恋の相手にどうかと検討する過程で、彼なり彼女なりを「セックスしたいと思える相手であるか」というフィルターにかけない人はいないだろう。
友人から恋人や夫を紹介されたり写真を見せられたりすると、「私とはちょっと……いや、だいぶ好みが違うなあ」と思うことがときどきある。
一番最近では義妹の婚約者に会ったときだったのだけれど(もっとも、彼女が夫とそっくりのタイプを選んでいたらそれはそれで考え込んでしまうが)、驚きとも軽いショックとも呼べそうなそれは、ずばり言えば「この男性とアンナコトやソンナコトをするなんて考えられないや」というものだ。
性格がよさそうで友人としては申し分ない人でも、恋人や配偶者となると話は別。生理的に苦手なタイプは言うまでもないが、そこまでいかずとも自分の中のセクシュアルな部分をまるで刺激しない人を愛することができるだろうか。

色気のある男性が好きだ。自分の中の“女”をはりきらせてくれる人といるのは楽しい。
もちろんその色気というのは普遍的なものではなく、あくまで「私が反応する種類の」であるが、誰かを恋愛対象としてみるには必須項目だ。
ところで、私はいったいなにをもって、この人にはそれがあるとかあの人にはないとか判断しているのだろう。
容姿じゃないの、って?過去に色気を感じた男性に整った顔立ちをした人が多かったことはたしかである。しかしながら、タイプのルックスでない人には感じないかというとそんなことはない。
たとえばヴァイオリニストの葉加瀬太郎さん。正直言って、彼の風貌は私の好みではない。友人が「物静かなパパイヤ鈴木」と例えたときも、うっかり相槌を打ってしまった。しかし、私は彼をとても色っぽいと感じているのだ。
セリーヌ・ディオンのコンサートでうちの一曲を葉加瀬さんが演奏したのだけれど、その姿はステージの上でヴァイオリンと社交ダンスを躍っているかのようで、とてもセクシーだった。
そして、ひらめいた。私がキャッチする男性の色気というのは「自信」に由来するものなんだわ、と。
色気の正体にはもうひとつ心当たりがある。私には魅力的だなあと思っている日記書きの男性が何人かいる。その中には非モテキャラで売っておられる方もいるけれど、三枚目な文章の中にも品や知性がうかがえる。いずれの方にもお目にかかったことがないので実生活ではわからないが、少なくとも日記の世界ではかなりモテているはず……と私は踏んでいる。
さて、彼らに共通しているのが「自身の露出をコントロールしている」ことである。テンションは常に一定で、「この人は私たちには見せない顔があるんだろうな」と読み手に思わせるものがある。
私はこの「抑制」に、書き手の中の他人に流されない凛としたものを感じるのだが、これこそが色気の成分なのだ。
糸井重里さんは色気の正体を、「ゆだん」である、と言った。「落とせば落ちる感じ」というような油断だ、と。
では私は、色気とは「余裕」だ、と言おう。自信とは、すなわち泰然。抑制とは、意図と計算。「これが自分のいっぱいいっぱい」でないからこそ、香り立つものが生まれる。
ゆとりのないところには、私が思う色気もまた存在しない。

<参照過去ログ> 2004年11月24日付 「悲しい心当たり(後編)」

【あとがき】
糸井重里さんが色気の正体を「落とせば落ちる感じ」と言ったけれど、なるほどと頷くと同時に思い出したことがあります。以前、「周囲の女性日記書きさんは『男性読者から写真が送られてきた』とか『出張でどこそこに行くと書いたら食事に誘われた』といった武勇伝をひとつやふたつ持っているのに、どうして私にはそういう話がいっぺんも来ないんだろう?」とここに書いたところ、ある男性が私が口説かれない理由をこう分析してくれました。
「文章を読んでちょっとその気になったら、口説いたらOKもらえる確率ってのを何となく想像するものです。で、OKもらえそうにない場合は口説きません。本意かどうかは分かりませんが、小町さんには誘ってもOKもらえないだろうと思わせるものがあります。モテる女性の条件としては見た目や性格よりも、誘ったらOKもらえそうな雰囲気ってのが大切なのではないかと思います」
そういえば、私は色気があると言われたことがないのであった……ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン !!