2004年09月17日(金) |
余分なエクスキューズ |
私はいま仕事をふたつ掛け持ちしている。そのうちのひとつが、ある会社のコンタクトセンターでの電話の仕事なのだが、昨日は朝礼中に思わず「ひえー」と声をあげそうになった。上司が突然こんなことを言ったのである。
「テレコミュニケーション能力の向上を図るため、先日みなさんの会話の抜き打ちテストをさせてもらいました。その結果が出ましたので、午後からミーティングを行います」
上司が私たちテレコミュニケーターの会話を録音したものを定期的にチェックしていることは以前から知っていた。「この場合、この回答では不十分」とか「この言葉はクレームにつながる恐れがある」といった指摘を後日受けることがあるからだ。顧客との会話中に「あ、いま聞かれているな」とわかることもある。
しかし、今回の抜き打ちテストはそういうのとは違う。専門の会社に録音テープを渡し、各人のスキルの分析を依頼したというのである。
業務中の私語や机の下で足を組むことにまでダメ出しする会社なんて、ここくらいのものだ。かなりきっちりしたところだと思ってはいたが、そこまでするのかと私はすっかり驚いてしまった。
テレコミュニケーターは百人以上いるため、私たちは十人ずつのグループに分けられた。ミーティングは、メンバーの会話をひとり分ずつテープで流し、改善すべき点について時計回りに意見を述べていく。その後、上司が調査会社からの評価を読みあげる、という形式で行われたのであるが、どういうわけかトップバッターは私。
「口調は丁寧だが、事務的な印象を受ける」「早口。もう少しゆっくり話すように」など数々の指摘を受けたのであるが、今日はその話は置いておこう。
そんなわけで、真っ先に終わった私はミーティングの残り時間をお気楽に過ごすことができたのであるが、だからだろうか、誰かのテープを聞いての感想をみなが順番に言っていくのを聞きながら、あることに気がついた。
「語尾が伸びている」
「いま電話で話せるかどうかの確認をしていなかった」
「『ちょっとお待ちください』ではなく、『少々』にすべき」
といった指摘をするとき、みなが必ずといってよいほど「これは私もしょっちゅうやってしまう失敗なんですが」と前置きをしたり、「そうしてしまう気持ちはすごくよくわかるんですけどね。というのは私もそうなんで」を付け加えたりすることだ。
会議で発言を求められたときに「みなさんの意見と重複するんですけど」とか「素人考えかもしれませんが」といった前置きをする人がよくいるけれど、余分だなあといつも思う。誰と同じであろうが浅知恵であろうが、自分の意見は「それ」なのだからそんな断りはいらないのに。
このミーティングにしてもそう。その人のスキルがアップするよう直すべき点を挙げていこうという場であるから、発言者がそれを実行できているかいないかということは問われない。むしろ自分のことは棚に上げておくべきだろう。
「『えー』とか『あのー』が多かったのでは」
「電話番号の復唱を忘れてましたね」
くらいのことにフォローが必要とも思えない。それでも、メンバーの多くが「ほんとは人のこと言えた義理じゃないんですけど」のアピールを忘れないのはどういうわけか。
どんなにささいなことであろうと、誰かに「ここはよくなかった」と指摘するというのはこんなにも気を遣うことなのだなあ、としみじみ思った。
最近、酒井順子さんの『たのしい・わるくち』という一冊のエッセイを読んだ。
この方の魅力は人間観察の鋭さと物事を一刀両断に「二分化」してしまう度胸にあると思っているのだけれど、彼女の書いたものを読んでいて、もの足りなさのようなものを感じることもときどきある。
誰か(「女」であることが多い)についてさんざん皮肉ったあとに、「しかしこんな意地の悪いことを考えるのは、本当は私が心の中では彼女たちに憧れているからなのです」というふうにつづくからだ。
つまり、「人をこき下ろしているように見えるけど、実は同じ穴のムジナである自分の“イタさ”を笑っている」というのが酒井さんの文章のスタイルと言えるのであるが、私はそうと納得しつつも、この「実は私も同類なのです」的なフレーズがなければもっと面白く読めるのになあ、とよく思う。遠慮やおもねりが垣間見えるようで、いつもそこでちょっぴり萎えてしまうのだ。
しかし、作家というのは人気に左右される商売だから、書けること書けないことについてはいろいろとあるのだろうな。『負け犬の遠吠え』も、酒井さん自身が“負け犬”だったからこそ書けたわけだし。
「実は私も……」がなくては可愛げがなくて読めたもんじゃないと思う読者もいれば、私のようにそこまで辛口に書くのならとことん潔くあってほしいと思う読者もいる。
「人について語る」というのは本当にむずかしい。
【あとがき】 とくに会議の席でへたな前置きをすると、自信なげに見られて通る意見も通らないってことがありますよね。それは損だなーと思うわけです。それと、私はまどろっこしいもの言いが好きじゃないんですね。一日に何度も耳にする「○○してもらってもいいですか?」という言い方も苦手です。 |