新聞の投書欄で、六十六歳の男性が書いたこんな話を読んだ。
四十数年前、中学校に勤務していた頃のこと。美人でポニーテールがよく似合う、同僚の家庭科の先生に憧れていた。ある日、家庭科室の前を通ると茶碗蒸しのにおいがする。お、調理実習かと思いながら職員室に戻ると、なんと机の上に茶碗蒸しが。添えられていた割り箸の包み紙の裏に書かれた小さな文字を読み、跳び上がって喜んだ。デートの申し込みだったのだ。
その日は雨だった。信号待ちをしている私の前を、救急車がサイレンを鳴らして横切った。不吉な予感。書店前に行くと、消防と警察の人が事故の処理のため慌ただしく動いていた。被害者はポニーテールの若い女性という。病院までタクシーを飛ばした。案内されたのは何と霊安室。彼女は帰らぬ人となっていた。 幻に終わった初デート。日時をしたためた包み紙は結婚した今も大切に持っている。すでにセピア色だ。
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この男性はきっと死ぬまでこの記憶を手離すことはないだろう、と思った。今日まで箸袋を捨てられずにきたように。
果たさなかった約束、果たされなかった約束というのはいつまでも消えることなく心に残り、ふとした拍子に鈍痛をもたらす。私はふと、俵万智さんのエッセイを思い出した。
コンビニの惣菜コーナーで、ほうれん草の白和えが目に留まった。
白和えを作ってあげる約束のこと思い出す別れたあとで
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洋風の料理ばかり作る俵さんに、あるとき恋人が「たまには白和えとか、食いたいなあ」と言った。彼女は「うん、じゃあそのうちにね」と答えたけれど、約束を果たすよりも先に別れが訪れた。
「いまとなってはもうなんの意味もない約束。だけど、私がこうして思い出すことがあるように、彼もまた白和えを食べるとき、なにかしら心が揺れたりはしていないだろうか……」
私の中にも、やっぱり「白和え」は存在する。
ともに社会人になった同い年の彼の配属先は関西支社ではなかった。大阪を発つ直前、彼は私に言った。
「二年、待ってな」
難波のえびす通りのファーストキッチン、二階窓際のあの席で。
もう十年も前の話。たとえふたりがいまも独身であったとしても、とうに時効になっているであろう約束だ。それでも、私は街を歩いていてあの白地に赤の三角形のロゴを見かけると、いまだに胸がちくんとする。そして、「ウソツキ……」と小さくつぶやく。
もはや恨み言では、ましてや未練などではない。ただ、ちょっぴりイジワルしたくなるだけのこと。だから、MA-1を着た二十二歳の男の子が困った顔をしているのが目に浮かんだら、私は「ま、いいけどさ」と投げ遣りに言い、思い出の蓋をバタンと閉じる。今度また、その店に出くわす日まで。
男と女のあいだで交わされる約束は、実現の見込みを失っても破棄されることはない。ただ放置されるだけ。だから、中身はすでに空っぽでも、容器----約束をした、という事実----は心の中に残る。それは風が吹くたびにカラカラと音を立ててそこここを転がり回るから、忘れようにも忘れられない仕組みになっている。約束の残骸にはそんな残酷さがある。
しかし、私は思う。たとえ果たされぬまま期限切れになったとしても、誰かと約束ができたというのは留保なく幸せなことだったと言える、と。
過去に向けて予定を立てる人はいない。未来に何事かを誓うのだ。それは少なくともその時点では、ふたりのあいだに「ともにある」と信じられる将来がたしかに存在していたということなのだ。
「一緒に暮らそう」なんて大それたものではない。「一週間休みを取って、どこか連れてって」なんてワガママなものでもない。白和えをリクエストするのと同じくらいささやかでたわいのない望みさえ保証されることのない恋だって、この世にはあるだろう。
約束というより「お願い」に近い私の最後の言葉、忘れずにいてくれているだろうか。祈るような気持ちでその人の今に思いを馳せることがある。