朝、会社のエレベーターで隣りの課の社員の女性と一緒になった。私よりいくつか年上で仕事上の関わりもないのだけれど、気さくな人なので休憩室などで顔を合わせると、いつも軽口を叩く。
「小町さん、土曜出勤なんてやる気あるう」
「違いますよー、明日から十一連休するんで」
「ということは海外?いいなあ」
そんな話をしながら、あれ?と思った。こうして話すのが少しばかりひさしぶりのような気がしたのだ。案の定、彼女は昨日まで休んでいたと言った。
「へえ、どこか旅行でも行ってたんですか?」
一週間の休暇と聞いて、私は彼女が早めの夏休みを取ったのだと信じて疑わなかった。が、そうではなかった。
「ううん、父親が亡くなってね。実家に帰ってた」
私の目にはまるでふだんと同じ彼女だった。いやそれどころか、朝から元気がいいなあとさえ思っていたのである。私は自分の鈍さを恥じ、心の中で頭をぽかぽか叩いた。
そして、ああ、そうだったと思い出した。昔、似たようなことがあった。私が史上最大の失恋をし、一睡もせずに出勤した日、たまたま出張で来ていた別の支社の同期に「相変わらず元気そうやん」と言われたのだ。
ひどく驚いた。たしかに「つらい、悲しい」は表に出すまいとしていたけれど、それにしてもこんなに簡単に、こんなに完璧に隠し果せるものなのか、と。
こんなこともあった。夫とは恋人時代に一年弱別れていた時期があった。私はそれを誰にも話していなかったのだが、披露宴で司会が新郎新婦の紹介の中でそのことに触れたとき、“新婦御友人席”からどよめきが起こった。そして、後から口々に「全然知らなかった、気づかなかった」と言われたのだ。
少女漫画の世界では、女の子が浮かべたほんの一瞬の憂いの表情を男の子は見逃さない。木陰で泣いているとハンカチを差し出したり抱きしめたりしてくれるが、現実にはそんなことは起こらない。その人が“知ってもらうためのサイン”を意図的に出さない限り、誰かの異変を周囲の人が察知することはほとんど不可能なのだ。
いつもニコニコ、あるいは元気いっぱいに見える人でも、心の中も見た目そのままとは限らない。不機嫌だったり、食欲をなくしたり、ため息をついたりしている人だけが「何かあった」わけではない------まるでいつもと変わらぬように見える彼女を見て、あらためてそれを思った。
村上春樹さんのエッセイにこんな話があった。
東京に大雪が降った日、車を運転していたら、三度も間違えて右側車線に入ってしまった。どうしてそんな“うっかり”が起きたのだろうと考えたところ、道路に積もった雪を見ているうちに以前住んでいたボストンの雪景色を思い出し、無意識に右側を走ろうとしてしまったのだ、ということに気がついた。
でも僕は思うのだけれど、もし僕がこの日に間違えて反対車線に入ったときに、運悪く事故を起こしてぽっくり死んだりしていたら、みんなきっとその本当の原因が理解できなかっただろう。 「もう日本に戻ってきて時間も経ったし、すっかり左側通行に慣れていたんですがね、どうして急に間違えたりしたんでしょう?」というようなことになっただろう。それが久しぶりに東京の街に積もった白い雪のせいだなんて、きっと誰にもわからなかったに違いない。自分自身でさえ、そのことに気がつくのにかなり長い時間がかかったんだから。 (村上春樹 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』所収「条件反射は怖いのだ」)
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こういうことは世の中に、きっとたくさんたくさんある。すべての人が「本人しか知りえないこと」を内蔵していて、その“本当の事情”というものは本人が抱いたまま消滅するから、他人はその内容はもちろん、それが存在したことさえ想像できないのだ。
そして、私は考える。
あのときどうしてああしたのか、ああ言ったのか、あるいはああ書いたのか。私の中にはいくらかの人に対して弁解したいこと、釈明したいこと、謝罪したいことが存在する。それが実現する見込みは現時点でもまるでないけれど、もしこの先私か相手に何事かが起こり、私が然るべき人に然るべきことを伝えるチャンスが完全に失われてしまったとしたら、それはとてつもなく大きな無念となるに違いない。
……なんてことを私はどうして成田に向かう朝に考えているのだろう。よくわからないけれど、うん、気をつけて行ってこよう。
それではみなさん、次は十八日にお会いしましょう。
【あとがき】 あと一時間で家を出るというのに、まだシャワー浴びてない!手荷物も詰めてない!化粧もしなくちゃ!それでは今度こそほんとに行ってきまーす。うわー、大変、あたふたあたふた。 |