2004年05月14日(金) |
話すこと。話さないこと。(前編) |
予想外の妊娠が発覚した同僚の話をつづける(前回の日記参照)。彼女を見ていて、「私には理解できないなあ」と思っていることがある。
予定日は来年の一月。つまり本当に妊娠が判明したばかりなのだが、その段階で彼女が職場でそれを公言してはばからないことだ。
独身時代、仲良しの同僚に給湯室に呼び出され、「赤ちゃんができた」と報告を受けたことがある。が、彼女はすぐに「でも誰にも言わないでね」と付け加えた。
「まだなにがあるかわからないから」
私は「そんな、縁起でもない」と返しつつも、それは賢明だと思った。身近に流産の経験者は何人もいる。聞けばその確率は十五パーセントというではないか。七、八人にひとりが流産するのであれば、悲しい話をこうもよく耳にすることも納得がいく。
同僚の喜びに水を差すつもりはないけれど、平気でジーンズが履け、自転車通勤できているうちから触れて回ることはないんじゃないのかな、とは思う。
などと言うと、「あなたはそれがどんなにうれしいことか知らないから、そんなことが言えるのよ」と言われてしまいそうだが、“百分の十五”に自分は入らないといったい誰に言えるだろう?出産までたどりつけなかったとき、そのことを親しくもない人たちに知られてしまうのがどんなにつらいことか。
以前勤めていた会社に破談になったために寿退社の予定を取り消した女性がいたが、周囲の人間の目にはそれ以上に痛々しく映るだろう。それは女性の心にさらなる負担をかけるはずだ。四時間のパート勤務、「テレコミュニケーター」という完全な個人ワーク、急な休みも取りやすく、いますぐ退職するわけでもない。あわてて職場の人間に報告する必要もメリットもどこにもないように思える。
妊娠十二週以降になると流産の確率はぐっと下がるという。どうして可能なかぎり遅らせようと考えなかったのだろう、と私は不思議でしかたがない。
私は出勤するといつも、彼女とあいさつを交わすまで、「今日も昨日と変わらぬ彼女だろうか」と胸がどきどきするのである。
誰彼かまわず話したくなるくらい幸せなことなのだというのはわかる。しかし、彼女が自分の身にもそういうことが起こりうるということをまったく考えていないとしたら、いささか能天気な気がする。
それとも、こんなめでたいことにも「用心」の必要を感じる私が悲観的すぎるのか。 (後編につづく)
【あとがき】 私は新卒で入社した会社を七年目に寿退社したのですが、私が部長に退職の意向を伝えた翌日から、会う人会う人に「できちゃったんだって?」と言われるようになり、びっくり。「誰がそんなことを」「部長が『小町さんがオメデタで退職する』と言っていた」と言うのですね。それで「変な噂流さないでください“オメデタイこと”と“オメデタ”はぜんぜん違いますっ」と文句を言いに行ったら、「わしはオメデタで退社すると言っただけで、妊娠してるなんてひとことも言ってないぞ」「ほら、やっぱりオメデタって言ってる!」「なにを言う、わしらの世代は結婚のことをオメデタというんだ」えー、オメデタといったら普通は妊娠でしょー。50代後半の部長だったけど、ほんとにその世代は結婚=オメデタなんでしょうか。 |