過去ログ一覧前回次回


2004年03月29日(月) 顔出し

書店で平積みされている本の山の中に、山田詠美さんのエッセイを見つけた。
彼女の作品は一度も読んだことがない。何ページか読んでみようと表紙を開き、私は目が点になった。
「うわ、すごいな」
表紙の裏の著者プロフィールの写真のことだ。私がこれまでにその欄で目にしたことがある作家のそれはどれも気取りのない自然体の、言い換えれば地味な写真ばかりであった。やや緊張した面持ちで正面を見据えていることもあれば、誰かと話しているところを撮ったのか視線がこちらを向いていないこともあったが、「さては特別映りよく撮れたのを使ったな」と思ったことは一度もない。
しかしながら、山田さんのそれは様子が違った。肩が大きく開いた服に頬杖をついたポーズ、その手には指輪に時計にブレスレットが何本か。こちらが恥ずかしくなるくらいキメキメなのだ。
こういうちっともさりげなくない写真を照れもなく採用できる女性というのは、いったいどういうタイプの人なんだろう。にわかに興味が湧き、試し読みもせず本をレジに運んでしまった。

たいていの日記サイトにもプロフィールのページがある。
自分がそうだからという理由で、私は長いこと「書き手はモニターの向こう側の人に顔を知られたくないもの」と思い込んでいたのであるが、実際は、とくに女性はそんなこともないみたいだ。
サイトの中で私がお顔を拝見したことがある男性の日記書きさんは四人しかいないが、女性なら十数人いる。街ですれ違ったら気づけるのではないかと思うくらい顔がはっきりわかる写真だけで、だ。
訪問するのが女性の日記に偏っているということはないので、男性よりも女性に容貌を披露したがる傾向があると私は見ている。顔は写っていなくても、たとえば組んだ足であったり後ろ姿であったりを壁紙にしているのも決まって女性である(男性がそういうことをしているのは見たことがない)。
さて先日、日記リンク集から偶然飛んだ先は女性のサイトだったのだけれど、日記のページにご本人の写真が何枚も貼られてあったので、私はとても驚いた。それはプリクラのような「目をこらしてもよくわからんなー」な代物ではない。ぼかしを入れたり目の部分を隠したりもしていない、実に鮮明な写真である。
照れのようなものがまるで見当たらないので、タレントのような仕事をしている方のPRを兼ねたページなのだろうかと考えたほどである。「私を見て!」をこれほどストレートに表す人もめずらしい。
あまりにも潔いそれらの写真を見て、大きなお世話と知りつつ余計な心配をしてしまう私だ。私のようにたまたま飛んできた人間にも姿かたちを公開して、厄介なことは起こらないのだろうか。
女性が今度どこそこに出張だの旅行だのに行くと書くと、読み手の男性から「食事でもどうですか」と誘われるという話をときどき耳にする。顔を明かしていなくてもこうなのだ。美人の彼女のところにはなおさらその手のナンパメールが届くのではないかしら。あらぬことを期待して訪問する男性ももちろんいるであろう。そういうのは嫌ではないのだろうか。
太陽が西から昇っても顔出しなど考えないであろう私は、そんなことを考えずにいられない。

私にも素敵だなと思う日記書きさんがいるけれど、プロフィールに写真を載せてくれればいいのにとはまったく思わない。
顔が明らかになった瞬間、彼らは「この日本のどこかで生活する一人の人間」になる。その存在はにわかに現実のものとなる。でも、この敬意やほのかな恋心は自分の中にそっと置いて、愛でるためのものだから。手の届かないところにいてくれていい。

【あとがき】
私が顔出ししない理由?それはもう、知人にサイトバレしたら困るからです。それとまあ、読み手の方の中にあるイメージを破壊するのも気がひけますのでね……(破壊するほどのものが皆さんの中にあるかどうかは置いといて)。