土曜の夜、めずらしく腰を落ち着けてテレビを見た。テレビ朝日開局四十五周年記念ドラマスペシャル、山田太一原作の『それからの日々』だ。
ふだん私はほとんどテレビを見ないのだが、家族の再生をテーマにしたこのドラマは何日も前から見ようと決めていた。ご覧になった方も多いのではないだろうか。
大企業の部長職にあった檜垣史郎(松本幸四郎)は社内の派閥争いに敗れ、定年まで二年を残して解雇されてしまう。 仕事一筋に生きてきた史郎は「粗大ゴミの悲哀」を噛みしめるようになって初めて、妻の晶子(竹下景子)が「はなクラフト」という趣味に打ち込んでいること、息子の啓治(武田真治)が転職を繰り返していること、娘の舞(瀬戸朝香)が不倫をしているらしいことを知る。仕事に邁進してきたあいだに家族が各々好きなように生きていたことに驚くと同時に、家族について自分があまりにもなにも知らないことに愕然とする。 それに加えて、妻が以前から離婚を考えていたことも明らかになり、ショックを受ける。
|
リストラであれ定年退職であれ、男が「会社」という居場所を失ったときにふと家庭を振り返ってみたら、家族はすでにばらばらだった----「これは、あなたの『家族』の物語です。」というサブタイトル通り、こうした事態は世の中にとてもたくさん存在しているのではないだろうか。
結婚四年目、熟年夫婦の域には遠く及ばない私が「身につまされた」と言うのはおかしいかもしれないが、いやしかし、妻の晶子の心情は十二分に理解することができた。私の中にも「他人事ではない」と思っているところがあるのだ。
義父は三人の子どもの教育、老親の介護、家の中のことすべてを義母ひとりにまかせてきた人である。
一年の休日のうち義父がゴルフに出かけないのは元旦だけだから、義母の「私はゴルフ未亡人よ」は笑うに笑えない冗談だ。子どもを風呂に入れたこともないと聞けば、義母がどれだけ大変な思いをしてきたかは容易に想像がつく。義母ができた人でなかったら、義父はとっくに離婚を言い渡されているだろう。
そして、その息子であるわが夫も仕事で多忙を極める身であり、かつ非常にマイペースな人だ。飲みに行く頻度も帰宅時間も独身の頃と変わらない。連絡も入れず深夜二時、三時になって帰宅する彼に、私は何度「家で待っている人間がいるという自覚はあるのか」と問い質したことだろう。
晶子は、「会社がなけりゃあなにもないような、そんな人間にはなりたくない」と息巻きながらも家で所在なげにしている夫に冷たく当たる。これまで仕事のことしかあたまになく妻には無関心、子どものこともすべて自分にまかせきり。その積年の恨みつらみが爆発したのだ。
そんな妻の態度にたまらず、史郎は言う。
「精一杯、家族のために働いてきたんじゃないか。俺がいったいなにをしたっていうんだ」
そう、夫はまるで気づいていないのだ。「仕事以外、なにもしてこなかった」ことこそ、妻の怒りと失望の正体であるということに。
夫が外でどれだけ苦労していたかは、もちろん妻だって理解している。感謝もしている。しかしながら、夫不在、父親不在のこんな家庭にしたのは「会社」だけではないとも思っている。
「あなたはいつだって仕事、仕事。私たちのことを考えたことなんかないじゃない!」
「俺だって好きでやってきたわけじゃない」
「嘘よ、あなたは好きでやってたのよ。でなきゃこんなふうに家族を放ったらかしにできるものですか」
夫がそれを好きでやってきたのであろうとそうでなかろうと、いまとなってはどちらでもよいのだ。こんなにも長いあいだ、自分と家族がないがしろにされてきたという事実が変わるわけではないのだから。 (後編につづく)
【あとがき】 史郎は「ここで落ち込んだら負けだ。いままでできなかったことをやってやる!」と息巻いてコーラスサークルに入会するのですが、みながカジュアルな服装で来ているのに、史郎ひとりだけいつも、ネクタイこそしめていないもののジャケットにスラックスというきちんとした格好なんですね。「日曜日のお父さんルック」なるものに親しみがないからでしょう。会社人間の悲哀を感じさせるシーンでした。
|