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2004年01月23日(金) 自分の居場所

民主党の古賀潤一郎衆議院議員の学歴詐称疑惑が巷を賑わせている。
米カリフォルニア州ペパーダイン大学は二十日、「古賀氏は在籍していたが、学位は与えていない。学生だったが卒業生ではない」と正式発表したが、「ほーら、やっぱり」という感じだ。
この数日前に古賀氏が「(卒業)証書は受け取っている。それをもって卒業したと認識している」「証書はアメリカに置いてきた」と話しているのをテレビで見、こりゃあ間違いないなと思っていた。実際に卒業していたら、「私自身はそう認識している」なんて言い方をするものか。渡米も「自分は今日までそう信じていた」をアピールするためのポーズであろう。
有名人の学歴詐称が発覚するたび、「まったくいじましいことをするものだ」と思っていたが、古賀氏のそれも相当みっともない。なんといっても、その「嘘」のスケールの小ささ、地味さ。ペパーダイン大学?今回のことがなければ、ほとんどの日本人はその名称を一生耳にすることがなかったに違いない。
金持ちの子弟が通う大学らしいが、日本での知名度はきわめて低く、私たちは「聞いたことのない、あちらの大学」という印象しか抱けない。卒業したと言われても、せいぜい「じゃあ英語しゃべれるのね」くらいのものである。公職選挙法違反で信用失墜、議員辞職というリスクを冒してまでそれを掲げるメリットがあったとは思えず、それがさらなる嘲笑を招いている。野村サッチーの「コロンビア大学卒」くらい派手にやってくれていれば、その厚顔に拍手のひとつも送ろうというものだが、インパクトゼロの大学ではこちらもどうしようもない。
お金を積めばたいていのものは手に入る世の中だが、学歴はどうにもならないのだなあとつくづく思う。
企業の社長自らが自社製品をPRする広告のチラシを見ていると、プロフィールの欄に「○○高校卒業後、早稲田大学受験に失敗し……」なんて一文を見つけることがある。
日本の大学は出るより入るほうがずっと難しいから、「中退」であれば「へえ、入れたことは入れたんだ」ということで彼の経歴として受け入れることができるが、「受験に失敗」を臆面もなく書いてしまうセンスはいかがなものか。「運悪く不合格になっちゃったけど、そのくらいのあたまはあったんだ」を伝えたいというのが見え見えで、潔くない。ここで無名の大学を挙げている人がいないのは言うまでもない。
将来有名になろうという野心を持っており、かつ自分は見栄っ張りだという自覚がある人は、若いうちに苦労して見映えのよい大学を卒業しておくべきだろう。

ところで、こういう話を聞くと思わずにいられないことがある。等身大の自分でいられることの幸福について、だ。
長くサイトをやっていると、「会いたい」と言ってもらえることがたまにある。光栄だなあと胸にじいんとくるが、とくに過去にお目にかかったことのある人から言われたときの喜びはひとしおである。
なぜなら、「ありのままの私」にOKが出たということだから。「どんな人が書いているんだろう」と興味を持ってもらえるのももちろんうれしい。が、文章だけでなく外見や物腰や人となりといったものを了解したうえでの「また会いたい」は、私を心底安堵させる。
古賀氏はプロフィールの中で、問題となっているペパーダイン大学のほかにUCLAの名も挙げているが、こちらは在籍の記録自体がないことが判明している。これについて彼は「大学の略称を誤って記載していた。ただの勘違いだ」と説明しているが、涙なしには聞けぬほどお粗末な言い訳である。また、テニスの「西海岸大学選手権優勝」についても主催者側はそんな事実はないと主張している。
これらの経歴詐称が本人の考えによるものなのか誰かの入れ知恵によるものなのかはわからないが、いずれにせよそれを掲げて総選挙に出たのだから、彼自身「等身大の自分では通用しない。下駄を履かせる必要がある」と認識していたということである。これは実にみじめで哀しいことではないだろうか。
本来の自分では受け入れられないとするならば、そこは自分のいるべき空間ではないのかもしれない。住む世界ではないのかもしれない。これはあらゆる人間関係について言えることである。
「ああ、自分らしくいられてないなあ……」と思ったら。そこが本当に自分の居場所かどうか、見つめなおす必要があるような気がする。

【あとがき】古賀氏の公式サイトのプロフィール、テキストをアップする前まで「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)」となっていたところが、さっき見たら「CSULA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)」に変わっていました。「略称を間違えただけ」って……ぜんぜん違うやん。