2003年12月19日(金) |
そうだったんだ。(後編) |
過去の恋人について、みな同じくらい好きだった、平等に思い出すという人もいるのかもしれないが、私はそうではない。
彼らがそれぞれの時期の私にとってなくてはならない人だったことはたしかだけれど、来世でも出会わせてくださいと神様にお願いしたいのはひとりだけ。それほどの存在であるにもかかわらず、別れてからというもの------そう、赤ん坊が小学校三年生になってしまうくらい長いあいだ------私は「彼には会いたくない」という気持ちを持ちつづけてきた。
別れて何年か経った頃、電話で話したことがある。彼を思い出にすることはまだできていなかったけれど、そんなことはおくびにも出さなかった。とうに自分とのことを整理し、新たな人生を迷いなく歩んでいる彼に、こちらは忘れられずにいることなどぜったいに悟られたくない。
そんな心の内を知ってか知らずか、彼は私と別れて数ヶ月後からつきあいはじめたという五つ年下の彼女について無邪気に言った。
「自分のことをお姫様かなんかと勘違いしてるんとちがうかって腹立つで。この俺が振り回されてるわ。むちゃくちゃわがままでコドモでさ、おまえと正反対」
私は「そんな若くてかわいい子とつきあえるんだから、そのくらい我慢しなきゃ」と冗談めかして言い、明るく電話を切った。
そのあと布団にもぐりこんで号泣。正反対のタイプだというその彼女への嫉妬と不条理な怒りに苛まれて。
そして思ったのだ。たとえ太陽が西から昇っても、この人は私の元には戻らない。こんな話を笑顔で聞かなくてはならないのなら、胸のつぶれる思いをしなくてはならないのなら、私は彼には一生会うまい。
「日にち薬」とはよく言ったもので、私はようやく歩きはじめた。しかし、あれだけ好きだったのだ、会えば彼の恋人なり妻なりにいくばくかの嫉妬を覚えずにはいられないだろう。それがあのときほどドロドロしたものでなくてももうご免だ------私はずっとそう思っていた。
「二度と会わない。会いたくない」の訳が本当はそういうことではなかったのだと気づいたのは、そう昔の話ではない。共通の知人から、彼のところに子どもが生まれたと聞かされたときだ。
あの頃から「息子の名前は自分の一字を取って○○にする」と言っていたが、本当に男の子だったようだ。
「あいつによう似てる」
「ふうん、そうなんだ」
喜びも失望もなかった。祝福も動揺も。ただ、敗北感でいっぱいになった。
しかしそのとき、私は「あれ?」と思った。なぜなら、その「負けた」「悔しい」という嫉妬にも似た感情が彼の妻に向けられたものではないことに気づいたから。
彼の子どもを生んだ------それはその女性が私がどれだけ望んでも手に入れられなかった彼との将来を約束されたことの証明であり、私の中に起こる攻撃的な感情はその一点に向かうことになっていたはず。それなのに……。
じゃあいったい誰に対する敗北感なのか。
彼、だ。
九年前のあの日から、私の心の奥底で「ぜったいに彼よりも幸せになってやる」という思いが息づいていたのだと思う。だから、彼の操縦する飛行機が安定飛行に入ったことを知って、「私より先に幸せになるのか」と。私の飛行機はいまだシートベルト着用のサインが煌煌と点灯しているというのに。
いまも好きとか嫌いとか、連絡手段があるとかないとか、嫉妬がどうだとかこうだとか。そんなことではなくて。
私は負けたくなかったのだ。私は幸せになり、「俺と別れてよかったな」と彼に言わせたかった。その瞬間だけでも、敗北感を味わわせてやりたかった。だけど、現実は……。
だから、私は彼に会いたくなかったのだ。そう、そういうことだったんだ。
あなたはどんな女性を選んでいても必ず幸せになるでしょう。そういう人だから。
でも私は、自分を幸せにするのは自分とあらためて胸に刻むわ。
負けっぱなしではいないから。私が負けず嫌いなの、知ってるでしょ。
【あとがき】 結婚していなかったり仕事がうまくいっていなかったりすると同窓会に行きづらい、という話を聞きます。「みじめな思いをしたくない」という思いがそういう場を避けさせるのでしょう。私の「彼に負けているから会いたくない」とちょっと似ている気がします。 |