先日、いま評判のあるレストランに予約の電話を入れたときのこと。
受話器の向こうの若い女性に連絡先をと言われ、「〇六−△△△△−××××」と告げたところ、「いえ、携帯のほうです」と言う。
「自宅しかないんです。携帯持ってないので」
「あの、ご予約のお客様には携帯の番号をちょうだいすることになってるんですが」
「自宅の番号でなにか不都合あります?」
「お時間に来られなかった場合に連絡させていただくので、携帯でないと」
「でも、ほんとに持ってないんですよ」「それでは当店も困るんです」の押し問答の末、間違いなく時間通りに伺いますから、無断キャンセルなんてしませんから、と言ってなんとか予約を勝ち取る。
そして受話器を置いたあと、驚きにも似た感慨が私を包んだ。
「こういう若者相手の店は、客が携帯を持っていないなんてことはありえないと思ってるんだなあ」
というのも、ひと月ほど前にカラオケボックスを予約したときにも、私はフロントの店員との間でまったく同じやりとりを経験していたのである。いったいいつの間に携帯持たずにとってこんなにやりにくい世の中になっていたのだろう。
私が携帯を持たないことに確固たるポリシーがあるわけではない。いつどこにいても捕捉されてしまうことに対する拒否感からでも、電磁波への恐怖からでもない。なくても別段困らないというだけの話。
あれば待ち合わせのときには安心だろうなあ、とはたしかに思う。が、私とそういうシチュエーションになりうる人たちは例外なく携帯を所有している。相手が時間になっても現れなければ公衆電話からかければよい。
公衆電話を見つけるのに難儀することはたまにあるが、途方に暮れるというほどのことではない。それゆえ月々数千円を払ってまで持とうという気が起こらないのだ。
しかしながら最近気づいたのは、私はよくても、私が携帯を持たないことで知らぬうちに周囲に不便やストレスを強いているところがあるらしいということである。
最近、紅葉を見に行ったときのこと。約束の時間を過ぎても友人が一向に現れない。携帯に電話をするが、「電波の届かない場所にあるか電源が入っていないため……」のアナウンス。まったくなにやってんだかと思っていたら、三十分ほど遅れてやってきた。
「えらいのんびりやん。何回電話かけても通じへんし」とクレームをつけたところ、寝坊したという彼女がなぜか私以上にぷりぷりした調子で言う。
「連絡取ろうにも家に電話したら留守電やし、あんた携帯持ってないしでできんかったんやん」
思わず「そうやったん、ごめんごめん」と謝りながら、ん?ちょっと待てよ。私が悪いんかい。
近くサイトを通じて知り合った方と食事をする予定があるのだけれど、待ち合わせ場所で無事に会えるかしらと思っていたら、昨夜彼女から顔写真が届いた。
「当日のお楽しみにしておきたかったけど、会えないと困るので送ります」
つい何日か前にも、ちょくちょく会う日記書きさんから「携帯を持つ予定はないの?プリペイド式でも持ってくれてると便利なんだけど」と言われたばかりだ。予約の際に店員を困惑させるくらいのことはどうってことないが、こんなふうに友人をやきもきさせねばならないのは少々心苦しい。
以前勤めていた会社の同僚の結婚式の二次会の案内が届いた。見ると、「当日は携帯を忘れずにご持参ください」とある。
どうしてかしらと思い、幹事に尋ねたところ、出し物の中で使用するのだという。受け付け時に紙に携帯の番号を書いて箱の中に入れる。司会者がそれを引き、記されている番号をダイヤル、携帯が鳴り響いたあなたが当選者!という寸法だ。
な、なぬうー。じゃあ携帯を持たぬ私は「素敵な賞品がドシドシ当たるクジ引き」に参加できないということではないか!……と憤慨したら。
「大丈夫。いまどき携帯持ってないのなんてあんたくらいのもん。会場がシーンとしたままだったら小町が当たったってことやから」
ホームの先端に設けられた喫煙場所で頭を突き合わせるようにしてタバコを吸っている人たちを見るにつけ、肩身狭いねえと気の毒に思っていたけれど、昨今は携帯持たずに吹く風もたいがい冷たい。
【あとがき】 携帯を持っていないと言うと、初めて会う方に不安がられます。うん、たしかに。でも昔はそれが当たり前だったから。私は時間に遅れず必ず行くので、心配ないです。 |